娘は6年以上、母を見続けました
毎日の会話には
母の言動が面白おかしく話されました
様々な笑い・感心(認知故もある)を提供してくれた期間でした
母は
連れ合いが死んだ時
何の反応も示さず
”好きな人がいた、毎日会いに来てくれた”
この話を、誇張なく100回は聞かされました
添い遂げられなかったのは戦争のせいです
私が存在しなくても、それでも良かったよ、と言うのが私の心です
(私の子供は説得しようがないのだけれど・・・)
私は”父”に憎まれ(多分)、”父”を嫌悪してきました
そんな”父”に服従するかの如くの母をよく攻撃しました
ある時、母が言いました
”しょうがなかった”
これ以来、私は母を攻撃しなくなりました
昔は怖い意地悪そうな表情だった母は
多くは娘との触れ合いにより
優しく幸せそうな表情になりました
母にとって、体は不自由ではあったけれど
最後の6年間は一番幸せな時だったのかもしれないと思います
私には、あれをしておいてやればという過去は少しはあるけれど
母親は幸せな時間を過ごせたのだから良かった、と思う方が大きい
だから、私は心残りはない、泣かなかった
感受性豊かな娘は何度も泣いていました
これには、私もウルウルと来たのですが