それでも私は泣くのかな?
これが真剣に持ち続けた私への問でした
母親が死にかけるのは
これで3回目でした
どの時も覚悟はしました
2回目は、ほぼ死を覚悟しました
酸素15リットルを強制呼吸させました
この数値は機械の最大量です
この時は、死にたくない、とつぶやきました
何と持ちこたえました
奇跡
認知は大きく進みました
その後2年間
様々な笑い・感心(認知故もある)を提供してくれた2年間
生きていてくれてよかった
本人の幸せな2年がありました
そして今回の救急入院です
2人の子供が
その都度の身体状況を知らせてくれました
有難かった
2人の見方は否定的でした