袴田巌さん の判決等はデッチ上げ確信犯の合作    2 | 社会の裏を晒すブログ

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■異を唱えた裁判官
司法が暴走するなかで、たった一人、職を賭して異を唱えた男がいた。
死刑判決を出した静岡地裁の裁判で左陪審(判事補)を務めた熊本典道元判事その人だ。
当時30歳で、一審担当の裁判官の中で最年少だった熊本氏は「こんな証拠で死刑にするなんて無茶だ」と訴えた。だが、石見勝四裁判長、高井吉夫右陪審に押し切られた。
良心の呵責に耐え切れなくなった熊本氏は死刑判決の翌年、裁判官を辞めた。
「その後、弁護士になったものの袴田事件の後悔から酒浸り。一時は自殺も考えたそうです。'07年に熊本氏は先輩裁判官2人が亡くなったのを機に、『救う会』と接触。『心にもない判決を書いた』と、タブーを冒して、3人の裁判官の評議内容を暴露したのです」(救う会メンバー)
検察は、本人が罪を認めているというのに毎日10時間を超える取り調べを行っている。最も重要な証拠だった犯行時の着衣が、逮捕から1年後に違うものになっている……。
若き熊本氏が感じた疑問を、その後の高裁、最高裁の裁判官たちは揃いも揃って無視した。
極めて不自然な証拠であるズボンを「被告人のものと断定できる」、他の衣類も「被告人のものである疑いが強い」とし、吉村調書の矛盾点は「大筋であっている」と問題視せずにスルーした東京高裁の横川敏雄裁判長は控訴を棄却した翌年、札幌高裁長官に栄転。後に早大法学部客員教授を務めた('94年に死去)。
「原判決に事実誤認はない」
と上告を棄却した宮崎梧一最高裁裁判長は'86年秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章している('03年に死去)。
13年も待たせておきながら、弁護団が要請した証拠調べや証人尋問もせずに、最初の再審請求を棄却した静岡地裁の鈴木勝利裁判長は東京高裁判事に出世。
即時抗告からやはり10年も待たせておきながら、
「確定判決の証拠は相当に強固で、事実認定に疑問は生じない」
と棄却を決めた安廣文夫東京高裁判事。彼は、袴田弁護団から「裁判記録や証拠を見ずに棄却決定をした」として懲戒申し立て請求をされながらも、定年まで勤め上げて中央大学法科大学院教授に就任した。この安廣氏が、村木厚子現厚生労働事務次官を冤罪に陥れた郵便不正事件の検証アドバイザーに選ばれているのは、皮肉と言うほかない。
「5点の衣類は長期間、味噌の中に漬け込まれたことは明らか」「共布の発見に証拠の捏造をうかがわせる事情は見当たらない」
と袴田さんの足かけ27年におよぶ再審請求を棄却した最高裁の判事にしても、今井功裁判長と中川了滋裁判官がともに旭日大綬章を受章している。
だが、司法は遅ればせながら自らの過ちに気付く。
2人の元最高裁判事が叙勲を受けた'11年の夏、静岡地裁は「5点の衣類」のDNA再鑑定を決定。その結果、証拠能力が否定され、再審開始が決まった。
冤罪が確定すれば、刑事補償法により一日最高1万2500円が支払われる。袴田さんにはざっと計算して2億円近い額が払われることになるが、台無しにされた48年の人生はカネで贖えるものではない。
「刑事や検事、裁判官たちは何の罪にも問われないのか。死刑が確定した事件でほかに冤罪はないのか、冤罪なのにすでに死刑が執行されてしまったケースはないのか。それらの問題と併せて検証すべきです」(『絞首刑』の著書があるジャーナリストの青木理氏)
前出の救う会・門間氏が、最後にこう語る。
「冤罪事件は国家による犯罪です。組織的に継続的に証拠を捏造していたのだとすれば、故意犯です。少なくとも彼らは謝罪しなければならない。熊本さんは『許されるとは思っていませんが、直接謝りたい』と言っていました。自身もがん、脳梗塞と大病を患って大変な状況ですが、熊本さんのような良識ある裁判官がいたことが唯一の救いです。捏造に加担した捜査関係者は自ら名乗り出て謝ってほしい。それが人間として、最低限の義務ではないでしょうか」
「週刊現代」2014年4月12・19日合併号より