こんばんは!


怠け癖が出て、先週はブログを更新せずでしたが、

台風が近づいているというのにその合間を縫って

長野旅行へ行ってきましたアップ


自称晴れ女が功を奏したのか、月曜からの二泊三日の旅は

曇り空は仕方ないとして、まったく雨に降られませんでしたキラキラ


今年は会津に行く気満々だったのですが、

予定通りに旦那の休みが取れずに断念!

会津の次に行く気満々だった長野に目的地を変更したのでした。


今回の旅のテーマは・・・

「お館様と真田一族の恩恵にあやかろう」です。

はい、すごい適当なネーミングです((´∀`*))ヶラヶラ


とりあえず・・・一日目は移動だけでほとんど時間を使ってしまうので、

いっつも予定をパンパンに詰め込む私は

今回も旦那に目的地をバッサバッサと斬り落とされてしまいました。


静岡から長野県って近いように見えて

車で5時間くらいかかるんですよね~*namida*

今建設中の道路を早く完成させて欲しいものです


いつも前置きが長くてすいません。


というわけで、最初の目的地だった「上田城」を目指しました!

上田城へ行く途中、第一次上田合戦で、徳川の大軍勢が

せき止めておいた神川の水でぶわ~っと飲み込まれ敗退を帰したという

神川の戦いの古戦場らしい場所に、旗が何本がはためいていたのですが・・・


「あっ!」と思った時には通り過ぎてました・・・くるま

国道沿いで駐車場もなさそうだったから仕方ないか~と

今回は諦め予定通り上田城へ。


「上田城」と聞くだけで真田家の居城だとわくわくしてしまう私ですが、

今は「上田城跡公園」として整備されています。


桜が見事で毎年4月には千本桜祭りが開かれ、大分盛り上がるらしいですc.blossoms*

今はシーズンオフなので、めちゃめちゃ普通の公園でしたけど(ノ∀`笑))

11月になると紅葉まつりもはじまるらしいです紅葉

もうちょっと遅く行ければよかった~って思っちゃいました。


まあそれは仕方ないとして・・・徳川の軍勢を退けたお城!

なぜかお城へ行くと自分も攻め入る気分で入城してしまうんですよね。

この石垣は登れん・・・とか、ここなら足が引っ掛かって登れそうとか・・・

上田城の石垣もなかなか急勾配で攻めにくそうでしたよ~陣笠



あゆい旅籠


よく、上田城の紹介写真として撮られているのは、

本丸への入り口になっている東虎口櫓門です。

近くに真田十勇士の顔だしパネルがあったので、

お決まりのように顔をはめ込んできました(笑)載せませんけどw


上田城には西・南・北と櫓があるのですが、

西櫓は唯一江戸期から残っている櫓だそうです。

移築されていた南と北櫓は、東京へ転売されそうになったのですが、

市民の力で買い戻したそうです。

今のように城郭と櫓を眺められるのは、そういった市民の

力があったからなんですね~愛されています(*´・ω-)b ネッ!


公園内には、ちょっと面白いものがありましたよ~


あゆい旅籠


東虎口櫓門外の石垣の中にひと際目立つ大きな石が・・・

これは真田石といわれているそうで、真田家が

松代へ移封する際家宝として持って行こうとしたそうですが

全然動かなかったそうですおー


東虎口櫓門外を抜けると正面が真田神社になっています。

真田の知恵にあやかろうと私もお参り!


境内には、ひと際目立つ赤備え兜があったり、

信玄公が愛でた兜に似た姿の松のエピソードが紹介してあったり。

奥の方にあった真田井戸と呼ばれる井戸は、城外へ通じる抜け道だったと

いう説もあったそうで、さすが徳川軍を2度も退けた昌幸さんが

考えたお城・・・それなりに工夫してるんだなと納得してしまいました。


本丸自体は現存していないので、決して派手さはないのですが、

石垣や櫓、城跡の地形などからいろいろと想像を膨らませられて、

とっても楽しかったです♪


・・・日もかなり落ちてきたのですが、

どうしても見たかったものがありまして、別所温泉へ!


目的の「安楽寺」へ到着。

このお寺は信州で最も古い禅寺で、平安時代に創建されたそうです。


お目当ては、日本唯一の国宝八角三重塔!!!

お寺に入ってからさらに杜の中を進んでいくと、

そのお姿が見えてきました!


あゆい旅籠


かっこいい~ちょっと中国風建築ですね。


北条氏の供養塔として建てられたものらしいのですが

建築時期などはっきりとしたことはわかっていないそうです。


説明の看板に

「三重の塔は仰ぎ見ることが大切です。

山の上から眺め下ろすものではありません。」

と、ご親切に描かれていたので私も下から眺めました。


確かに正面からみるよりも素敵ですね。

下からの眺めを計算して細部まで作られているように感じました。

見れて良かったぁ好き


安楽寺を後にして・・・徒歩で今日の最終目的地

「北向観音堂」へ向かいました。

本堂が北を向いているのはあまり例がないそうなんですよ。

あゆい旅籠


北向観音堂は、南向きの善光寺が来世のご利益があるのに対し、

現世のご利益があるといわれているそうです。

両方お参りするのがいいそうなのですが・・・

前回善光寺に行った時にはこちらにお参りに来られず、

今回は善光寺に行く予定はない・・・という訳で

今回も「片参り」になりそうです(ノω・、)


次行く時には両方お参りできるように旅行計画を立てようと

心に決めるのでした!!ハート☆


一日目はここで終了~♪

お宿は戸倉上山田温泉に泊まりましたが、

美肌の湯として有名なだけあって、

と~~~ってもお肌がつるつるになった気がしました♪

お宿の屋上露天風呂もほぼ貸し切り状態でとってもまったり♪

たくさん食べて温まって・・・久しぶりの贅沢でした。


では・・・二日目の模様は後日アップしま~すヾ(o´∀`o)♪

こんにちは~アップ


季節の変わり目!体調には注意しないとと思っていたのですが、

旦那が先週末風邪をどこからか持ち帰りダウン・・・↓☆


近くの人が病気にかかると見事にそれをもらうのがこの私でして、

次の日、久しぶりに38度をこえる高熱がでましたよ~

久しぶりすぎて堪えましたぁ・・・ネツ


昨日くらいからぼんやりしているもののいつも通り動き出した

次第でございます((´∀`*))


さて、なぜか今日のブログ記事は松前城!


お城ネタでブログを書きたいなぁと思っていた所、

自分が行ったことあって、まだ記事にしていない場所は・・・と

考えた所、松前城と松本城が思い浮かびました。

今回は独断で松前城を選択!


1868年の戊辰戦争にて土方さん率いる旧幕府軍に

落城されられてしまったお城なんですよね。


函館旅行の時に私も立ち寄ってきたのですが、

お城の周りの町並みも統一されている感があって、

時間があったらお城周りまでゆっくり歩いてみたかったなという

印象があります。後に聞くと北海道の鎌倉と呼ばれているとか!?


松山城の前身は、江戸時代初期の福山館で、

ロシア艦隊の来航に備え、北方警備の役割を兼ねて

福山館を改築=松前城を建設したそうです。

日本の城郭では遅い時代に建てられたものなんですね~うんうん


秀吉の時代は、蠣崎家が朱印状を受け蝦夷地の管理をしてましたが

家康の時代になると、姓を蠣崎から松前に改め、

蝦夷地の管理だけでなく、そこに以前から住んでいたアイヌ民族と

交易をするようになったのです。これにて、松前藩が誕生したわけです。


その後、和人とアイヌの間で交易権をめぐって戦いが起きたりもしたんですが

松前藩が鎮圧してからはアイヌは藩に服従。

交易相手という立場から単なる労働者になってしまったんですね*namida*


お城の展示物で個人的に印象に残っているのは

アイヌの有力者の絵がずら~っと展示してあったことですかね!!ハート☆

動物の皮を身にまとい、鮮やかな着物を召し・・・とってもワイルドでした。

濃い顔が好きな方!!!必見です(ノ∀`笑))


ちなみに、コシャマイン・シャクシャインとかアイヌ人の名前がついた乱を

日本史で習ったの覚えていますか?

アイヌの方の名前は独特で、展示物にも誰の絵か

それぞれ名前が書いてあったのですが・・・


起殺麻(キサマ) ←こんな名前の方もいました・・・なんか怖いひまな顔


戊辰戦争で炎上してしまったお城なので、

現在はコンクリート造りで内部がひんやり冷たい印象を受けましたが

天守からの眺めもよかったですし、外観もきれいで

やっぱり再建してくれると昔の姿がイメージしやすくていいですよねキラキラ


次に函館方面に旅行に行く時は、頑張って江差まで

足を伸ばしたいです!


ハートおまけハート


写真もいくつかあったのですが

今回は松前城を背景にした絵を描いてみました♪



あゆい旅籠


うむ・・・

描き途中なので縮小版を載せてみましたが

人と背景が・・・あまり合ってない・・・

ま、いいか

今回は、老いてますます盛んなスーパー武将さんにつて

取り上げてみたいと思います!


三国志だと蜀の「黄忠」という弓の名手のおじいちゃん武将が

ぱっと浮かぶんですけど、戦国にもそれに負けないくらい

パワフルな方!たくさんいますよ!


まず、もっとも高齢で戦場に立ったといわれている武将は・・・

「龍造寺家兼」です!

しかも、挙兵した時の年齢は、ナ・ナ・ナント・・・90歳!!!

ひぇ・・・想像を超える年齢でしたえ゛!


龍造寺家兼は肥前(現在の佐賀県)の国人で、分家だったのですが

優秀だった家兼は、仕えていた少弐家の筆頭にまでのぼりつめ、

本家を凌ぐ勢いで成長していきます。

いわゆる下剋上を成功させた人物ですね~


90歳で戦場に立つことになった経緯には悲しい出来事が・・・*namida*

主家を倒して権勢を握った家兼をやはり良く思ってない人はいるもので、

少弐家の家臣であった馬場頼周は、少弐家に対する謀反の嫌疑を

家兼にかけ、龍造寺一族の大半を誅殺してしまうのです。


家兼はこの策謀により、息子二人と孫4人を失い・・・

皮肉なことに、その時すでに90を超えていた家兼自身は

老齢ゆえ厳しい言及を受けずに生き延びます。


そんな屈辱的な過去があるからこそ、老躯に鞭打ち立った戦場。

蒲池氏、鍋島氏の協力を得て、見事、龍造寺氏を再興したのでしたキラキラ


戦国武将の龍造寺隆信という名前は聞いたことあったのですが、

この隆信が家兼さんのひ孫にあたる方だそうで。

家兼の生ある限りあきらめない不屈の精神でお家を残し

戦国大名としての龍造寺家に繋がっていったんですね


では、じゃんじゃん行きましょう!

お次に紹介する人物は「三好政康」です。


三好三人衆の一人で、出家後の名前を三好入道清海といいます。

三人衆は信長と敵対勢力として度々登場するのですが、

いつまでたっても三人の名前までは覚えられない私です。

でも、松永久秀について将軍足利義昭の暗殺計画に携わったり・・・と

三人衆に対してこわ~いイメージが私の中では付きまとってますぐるぐる


三好氏はその戦いで、行方不明になったとか、死去したとも言われており

実際どうなったかははっきりせず、いろんな説が残っています。


その説の一つがこちら。

豊臣氏に仕えて、大坂夏の陣に出陣した三好清海というものがいますが、

この人物が政康の後身で、最期まで秀頼につき従ったといいます。

この戦いで戦死した彼は、この時88歳!

後、真田十勇士の三好氏出身の破壊僧「三好清海入道」の

モデルともなったそうです!


では、疲れてきたので最後の一人としましょうか・・・

疲れるの早っ・・・(ノ∀`笑))


今まで紹介した中では一番知名度が高いと思われる武将さん

九州の大友氏の一族で、立花道雪の娘、誾千代の娘婿

「立花宗茂」です。


この方は戦国BASARAで大友宗麟の破天荒キャラに振り回され

体格に似合わず心の中でブツブツ異を唱えてる感じが

なんとも私のツボだったのを思い出しました。


その話は置いといて・・・


宗茂は晩年の名前で、過去に10回ほど改名してるんですよね。

だれ?この名前?と思ってるものが宗茂だったりして(ノ∀`笑))


秀吉は、僅か19歳の宗茂を

「その忠義も武勇も九州随一、九州の逸物」と

東の本多忠勝と同格くらいに絶賛したそうです。


そんな武勇を誇る宗茂さん!

実は徳川の世に起きた戦乱「島原の乱」にも参戦してるんですよね。

単純に計算してこの時70歳!

総大将を補佐し城攻めにも参加し、武神再来と諸大名を驚愕させたそうです。


長生き武将としては、北条幻庵の97歳とか

真田幸村のお兄さんの信之の93歳とかもありましたが

今回は老齢ながら戦場に立ち、その武勇を見せたであろう

お三方を紹介させてもらいましたアップ


個人的には50歳を超えて戦場にいるだけでも驚くのに

90、88、70歳って・・・どんだけなの?と驚愕レベルでしたね(o゚Д゚ノ)ノ

でも、最初に紹介した家兼さんのように

お家再興のためという目的を達するためには老躯でも構わぬ!といったような

底知れぬ精神力が体の限界を超えちゃうこともあるんでしょうね。


現在すでにへこへこの私は見習わねば・・・凹○コテッ