こんばんは!


珍しく先週はバタバタしていてブログを更新する

時間が取れず終いでした(m´・ω・`)


では、やっと長野旅行の完結編でございます。


一日目と二日目のお宿を違う場所にしたので、

二日目のお宿近くに向かうべく松本方面へ車を走らせます!


松本・・・といえばやっぱり松本城ですよね。


何度も足を運んだことのあるお城なのですが、

やっぱり近くに泊まるのであれば一目みたくなっちゃう性でして

「松本城」へ立ち寄ってきました!


やっぱり漆黒のお城はいつ見てもかっこいいキラキラ

黒塗りで高い石垣を持つお城を見ると、

戦うための強固な守りを念頭に造られた

ものなんだろうなと思ってしまいます。


松本城は戦国時代に造られたお城で、もともとの名を

「深志城」というそうです。

信濃の守護小笠原氏が拠点とした林城を囲むように

守りを固めるべく造ったお城の一つが深志城だそうで

一時期、武田信玄が占領したこともあるそうです。


防衛のために造られたお城であるのに、

松本城には月見櫓というちょっとした邸宅のような

開放的な場所もあるんですよ~。

それは、豊臣政権になった時に、徳川家康の関東移封と共に

小笠原氏も従い、次の城主となった石川数正さんたちが

お城の増築とともに城下町に経営に尽力した成果だそうです。


400年の歴史の中で、戦を耐え抜く要素と、

平和な時代のシンボル的要素を併せ持った姿が

この威厳がありながらも美しい松本城を生み出していたんですね~うんうん


あゆい旅籠


今回はパンフレットの松本城を意識して

外観の写真を撮りまくってみました!

天気が微妙だったので似せるのには(ヾノ・∀・`)無理がありましたが

ちょっとは雰囲気出てますかね~笑


・・・と、自己満足したところで二日目終了音符

今回も温泉宿でまったりなのでした!


続きまして3日目はとりあえず静岡に帰りながらも

何か見たいと無理やり向かった先は・・・「諏訪高島城」です


お名前の通り、諏訪湖の近くに建っているお城です。


現在はお城のすぐ横が湖!って位置ではなかったのですが、

当時は城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから

「諏訪の浮城」と言われたそうですよ。


あゆい旅籠


こちらは中山道六十九次を描いた浮世絵ですが

高島城が描かれているのがわかりますかね?ちっちゃい(*≧∀≦*)

本当に湖に浮く城!のようにみえますね~

とはいえ、凍った湖面の絵なので歩いている人が気になりますが・・・


石垣をぐるっと周り、入口っぽい門をくぐると内部は公園になってました。

なんだか市民の憩いの場的な雰囲気が醸し出されていて

私も池を眺めながらのんびりしたくなっちゃいました(寒くて無理でしたが)


あゆい旅籠

現在のお城の天守は復元されたもので、

石垣などは一部、当時のものが残っているそうです。

このお城は炎上したとかいう訳ではなく、1871年の廃藩置県によって

撤去が決定し、1875年に撤去が終了したそうです。

一国一城令といい廃藩置県といい、歴史ある建物を・・・

さらに民が愛着を持っている建物を廃するとは・・・

今思うとホント勿体無いなぁと泣けてきます(´;ω;`)


でも、市民のチカラで復元されてホント良かったって思います(*´ω`*)

現在もいい街のシンボルにもなってますし。

私のような観光客も、お城の内部が資料館になってましたので

お城の歴史に触れることができて楽しかったです音符


ではでは・・・今度こそこの旅の最後に立ち寄った場所となります。

「高遠城址公園」という場所ですが・・・

高遠という場所、皆さん聞いたことありますかね?

桜の名所で有名ですよね。

というわけで、現在は完全なるシーズンOFFなのですが

どんな場所かなぁと気になって行ってきました!


高遠城の城主は武田信玄の近親者だったのですが、

中でも、信玄の5男仁科五郎盛信が長篠の戦いで

大敗した武田軍を追悼しようと攻めてきた織田軍と戦い、

壮絶な死を迎えた場所だそうです。


高遠の桜が赤いのは、戦場に散った武士たちの血の色が映り

赤いのだとも言われています*さくら*

タカトオコヒガンザクラと呼ばれるその桜は、

「天下第一の桜」と称され、さくらの名所百選に選ばれているそうです。


あゆい旅籠


現在はこんな感じの本丸跡ですが、本当に一面桜の木!

この場所一面に咲き誇る桜を再度、見に来たいなぁと思いました。

本丸からの眺めはよく、中央アルプスまで見渡せましたが、

10倍以上もの織田軍の兵が攻めてきた時のことを考えると

ゾッとしてしまいます・・・

最近・・・戦人にでもなったつもりなのか、

ほんとそんなことばかり考えてしまいます(;´Д`)


これにて長野旅も終焉を迎えたわけですが、

いつも行き当たりばったりの旅を続けてきた私が

珍しく計画を立てたおかげでたくさんの場所を回れました。

と~っても楽しかったです。

今度は中部横断自動車道ができたら行きたいと思います!!!

(お早めにつくっていただきたい)


最後に・・・

旦那ちゃま・・・運転お疲れ様でしたおじぎ

こんばんは!


皆様が忘れた頃に前回のブログの続きをアップする

あゆいでございます。


というわけで、今回のブログは松代訪問の続きからです!


象山先生に思いを馳せた後は、また真田家に逆戻りいたします。

向かうは「長国寺」というお寺です。


ここには真田の歴代藩主のお墓があるということで

ちゃんとお参りせねばと暑い中、お寺まで頑張って歩きました!


到着してまず驚いたのは、本堂の屋根にあるシャチホコと六文銭六文銭

一目しただけで、真田藩主の菩提寺ってわかるようなインパクトですね。


あゆい旅籠


しかも、このシャチホコ、海津城から移築したものらしいですよ!

さすが重要拠点のお城(*≧∀≦*)覚えたての知識をフル活用です笑


お墓がある霊廟内部へ行くには別料金がかかるのですが、

せっかく来たので拝観料を払って霊廟まで案内していただきました!


初代藩主の信之さんの霊廟は、想像していたよりもずっと巨大でした。

重要文化財にしていされているだけあって荘厳で、

近くで見ると見事な彫刻が掘られています。

全体が黒塗りなので、色鮮やかな彫刻が際立って見えます。


隣には、信之さんの霊廟より一回り・・・いやふた回りほど小さな

4代信弘さんの霊廟が並んでいました。

大きさが小さい分、彫刻も控えめで落ち着いた印象です。


何度も火災にあい規模が小さくなっていった長国寺ですが、

お二人の霊廟は離れた場所にあったので無事だったそうです。


あゆい旅籠


4代信弘さんの霊廟のさらに奥には、

歴代藩主の宝塔が祀られている場所があります。

こちらも、初代信之さんのものが一番立派な宝篋印塔で、

信之の墓にだけ石の鳥居がありました。


その向かいには真田幸村とその嫡男幸昌(大助)親子の

供養塔が建てられていました。

大坂の陣からだいぶ月日が経過した大正時代になってようやく

供養塔が建てられたそうで、幸村親子も真田家の面々と一緒に

眠ることができ喜んでいることだろうなぁとゆっくり手を合わせました。


とりあえずばばば~っと回った松代でしたが、

想像していたよりも見所満載で、まだまだ回りたい所もあったりと

再び訪れたいなぁと思える場所でした好き


今度はゆっくりとお茶を勧めてくれたボランティアの方の

お話も聞きたいですし宝物館も休館でしたし~


あ、実は最初に観光案内所でもらった「信州まつしろ120分の散策」という

リーフレットの裏に、松代散策クイズラリーというクイズがあったんですよ。

意外と難しかったりして・・・


でも、ちゃっかり問いて素敵なプレゼントもらっちゃいましたよ♪


では皆様にもその中から2問ほど抜粋・・・鉛筆


○真田氏独特の家紋で戦に望む武士の決死の覚悟を表した紋とは?


○佐久間象山が松代に蟄居を命じられる原因となり

 アメリカ密航未遂事件を起こした門人はだれでしょうか?


あら・・・簡単でした???(*≧∀≦*)


松代を後にしまして、ちょこっとだけ車を走らせたどり着いた先は

「川中島古戦場」です。


この古戦場がある場所は八幡原(はちまんぱら)と呼ばれる場所で

5度に渡る川中島の戦いで最も激しかったと言われる

第4次の戦いの主戦場となったそうです。

現在はとってもひろ~い公園となっていました。


その一角に八幡社があり、この社は武田信玄が本陣を

しいた場所と言われています。


(最初、八幡社に気づかず、

公園しかないと思って早々に帰ろうとしちゃいました笑


鳥居をくぐった突き当りには武田信玄と上杉謙信一騎打ちの銅像があり

観光客の目を引きます。


あゆい旅籠


ここにもボランティアの方がいて、上杉が陣をしいていた妻女山や

武田の拠点海津城の位置関係からあの有名なキツツキ戦法まで

いろいろと話してくださいました。


境内に「三太刀七太刀之跡の碑」というものが建っていたのですが

こんな言い伝えがあるそうです。


上杉謙信が単騎で武田本陣に切り込み、

馬上から信玄めがけて三度にわたり切りつけました。

信玄は軍配でその太刀を受け止めたのですが、

軍配には七ヶ所の刀傷が残っていたそうです。

まさに毘沙門天の神業~って思ってしまいましたキラキラ


旦那のリクエストで足を運んだ古戦場でしたが

境内には他にも首塚や古井戸、執念の石といった

「古戦場7不思議」というものもあり、マップの説明書きを見ながら

ぐるぐると回ってなぜか旦那より楽しんでしまいました。


いろいろ見て回ると欲が出るもので、

山本勘介のお墓とかも行ってみたかったなぁと

今更ながら思ってしうワケですが・・・それにしても・・・

長野は広い・・・!!!全然回りきれません!!!


とりあえず・・・次で長野旅行ラストブログになりますが、

まさか4回に分けて記事を書く事になろうとは思ってませんでした!

意外と盛りだくさんでしたなぁ~


次回はお城巡りブログで締めくくりたいと思います♪

(まだお城行ったのかよって感じですね(*・ω・))

こんばんは!


今回は長野旅行の続きです♪

二日目も雨には降られずに所々青空にも巡り会えたため

たくさん歩いちゃいました音符


今日の最初の目的地は松代!!!


上田は戦国時代の真田家の城下町として栄えた場所でしたが、

松代は江戸時代になってから、幸村の兄・信之が上田から

国替えのため移り住み250年もの間栄えた城下町です。


たまたま停車した駐車場前が松代観光案内所だったため、

「信州まつしろ120分の散策」というリーフレットをもらって

いざ松代ウォークへ出発!ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪


最初に向かうは「松代城跡」です。


私は真田家が松代藩の政の拠点としたお城跡ということで

わくわくしていたのですが、なぜか旦那もわくわくしてる模様・・・

江戸時代はあまり興味がないはずなのに~なんて思っていると

入り口にある看板を読み、その理由が判明しました!


松代城の前身は「海津城」というそうです。

この名前だけでピンときたあなたはかなり戦国通ですね。


この海津城は北信濃を支配する上でとても重要な拠点で、

1560年頃武田信玄が築城したといわれているそうです。

川中島の戦いの舞台ともなったお城なんです。


余談ですが、旦那は「信長の野望」というゲームで

真田で始めると海津城がとても重要で、とられるとすぐに

負けちゃうんだよとしきりに言ってましたが・・・

とりあえず、重要拠点という事だけはわかりました((´∀`*))ヶラヶラ


櫓門や石垣、土塁、掘などはかつての姿が復元されていて、

結構見応えがありました。


あゆい旅籠


お濠の周りでは、櫓門の写生を行っている方々がたくさんいて

その絵をのぞき見て見事さに驚いた次第でございます絵筆

確かに、絵を書きたくなるようなのどかで綺麗な場所でした。


次に向かった先は新御殿跡(真田邸)と呼ばれる真田家の私邸として

使われていた場所です。

9代藩主の真田幸教が造営したそうなので、

比較的新しい時代に建てられた邸宅なんですね。


御殿自体とっても広いんですけど、やっぱり

居間から眺める日本庭園の景色が一番心休まり綺麗でした!

もともと、幸教の義母のために作られた居宅らしく、

お化粧之の間というものがあったり、ふすま絵が綺麗だったり

ちょっと女心をくすぐる造りに感じられました好き



あゆい旅籠


真田邸のすぐ近くには、藩士達の学び屋となった「文武学校」があり

柔術・剣・槍・弓などそれぞれ専門的に教える建物が再現されてました。


実は松代は、幕末の偉人「佐久間象山」先生の出身地でもあるんです。

この文武学校も、象山先生の意見を受けて、蘭学や西洋砲術など

とっても先進的な教育を受けられる場として造られたそうですよ。


真田宝物館にも行きたかったのですが、ちょうど松代を訪れた

火曜日がお休みでした。詰めの甘さがでちゃってますね(´ノω;`)


気をとりなおして・・・文武学校で象山先生のお名前が出た所で、

その知識にあやかろうと「象山神社」を訪れる事にしました。

歩いている途中で「休憩して行きませんか~」と旧邸宅案内の方が

せっかく声をかけてくれたんですけど、時間キツキツなのでごめんなさ~い。


神社の入り口には象山先生のお馬に乗った凛々しいお姿が。

なぜか馬に乗ったお姿を見ると、先生が暗殺された時の絵が

頭に浮かんでしまう私はなんとも罰当たりですよね*namida*


あゆい旅籠

境内にもどど~んと象山先生ゆかりの地という旗がありましたが、

真田の旗に負けないくらい、路上にもたくさん旗がありましたよ!

ちなみに、案内板や銅像もちゃんと佐久間象山先生と

先生付けで書かれているのが気になっちゃって気になっちゃって。

それだけ偉大なるお方だったんですよね~

あの時代に東洋・西洋文明に明るかったんですもんね。


受験生ではありませんが

頭の弱い私は丁重にお参りさせていただきました祈


神社内には、象山先生誕生の地の石碑があったり、

松代で9年間の蟄居を終えた後、京都で最期を迎えるまでの

つかの間の時を過ごした茶室がこの地に移築されていました。


こうやって象山先生を偲ぶ遺構が大切に残っているという事は

本当に喜ばしいことですね~

ご本人が素晴らしい人物だったことはもちろんなのですが、

後世にもこの人の素晴らしさを知ってほしいというなんだか

人々の温かさまで感じてしまいますにっこり


・・・まだまだ載せたいことはたくさんあったのですけど、

思った以上に雑談を盛り込んだため長くなっちゃいましたね・・・


という訳でまたまた繰越させてもらいます(ノ∀≦;)


まだまだ続く長野旅ですが、また続きは後日アップします!

気が向いたら読んでくださ~い!