久しぶりに絵を描きました~鉛筆



あゆい旅籠


誰だこれ?ってお思いのあなた!


正解は「新八&左之助」でしたぁまる


新選組の中では盛り上げコンビ!って感じで

そのノリが好きなんですよねきゃー

近藤さん達と袂を分かつ時も2人一緒でしたし

どこか通ずる所があったんでしょうね赤い糸


新八ちゃんはなんといっても大正4年まで長生きし

生き証人として新選組を語ってくださいましたよね


神道無念流の使い手で池田屋、鳥羽伏見など歴史に残る

激戦にも負けない新選組屈指の剣豪!

若いころから道場破りをしていたということもあり

その無鉄砲さから「ガムシャラ新八」と言われていたそうで・・・

でも、一見サバサバしてそうなのに他人に頼まれたら

嫌とは言えないトコとか人間味があって好きですd.heart*


それにしても・・・

近藤さんのやや天狗気味の態度を正すために会津に建白書をだしたり

ちょっと短気で暴走気味なとこはあるものの

仲間だからこそ誰かが正さなければいけないというまっすぐさが感じられて

なんとも気持ちがいい人だぁって感じちゃいますアップ


そして、私にとって新八ちゃん以上に気持ちがいい性格の人が

左之さんですアップアップ


左之さんはなぜかとっても美形なイメージなんですよね

短気で豪快な性格なのに愛妻家という家庭的な面も持っている

ギャップって奴ですよねぇ

だいぶ前のブログにも書きましたが・・・伝説も多々あるなんて

これは・・・興味を持たずにいられないでしょう!!!


ってな訳で、新八&左之コンビ、今後も注目です(*´∀`人)


みなさんの中で新選組の名コンビといったら誰ですか~???

今日は5月18日・・・

あ~昨日の17日に合わせてブログを更新しようと思ってたのですが

書いているうちに眠気に圧倒されて更新が今日になってしまったsweat*

よくあるよくある・・・(心の声)


1869年5月17日は遊撃隊で活躍した伊庭八郎さんが自決した日です

墓碑には5月12日と記されているようですが・・・

5月16~17日が有力説らしいです(´・ω・`)

(これもホントかどうか・・・12日の方が有力なような・・・)



あゆい旅籠


私が幕末を好きになったのは結構最近のことで

明治期に近い戊辰戦争のこととか幕府軍のこととかも興味が薄かったんです


ですから伊庭さんも「隻腕の美剣士」「伊庭の麒麟児」という言葉から

剣術に長けている方だったのかなぁと名前をちらっと聞いたことがあっただけで

あまり知らなかったんですねφ(・ω・` )


新選組を好きになって、彼らの足跡を追っていくうちに

幕府軍の部隊で戊辰戦争に参加した「遊撃隊」や「彰義隊」の名前を

やっとのことで耳慣れるようになりましたうんうん


新選組の左之さんは彰義隊の方に参加してたんですよね

伊庭さんは遊撃隊の前進である奥詰(将軍の親衛隊)となり

1866年に遊撃隊として大阪・伏見、敗戦の後江戸に下ったそうです


鳥羽伏見の戦いでは甲冑の上から被弾するも奇跡的な軽症で助かりましたが

上野での戦闘では、湯本三枚橋で小田原藩士・高橋藤五郎に

左手首の皮一枚を残して斬られため左手は不自由となってしまいました


伊庭さんは治療をした後も榎本艦隊へ乗り込み

途中で座礁するなどさまざまな困難があったものの

なんとか箱館まで行き遊撃隊隊長となりますおおーっ!!


隻腕でありながら、彼の戦いぶりは見事!味方を鼓舞しながら戦います!

しかし、奮闘むなしく木古内の戦いで胸部に敵弾を受け重傷を負い

治療を受けるも・・・今回は為す術がなかったそうです(=´;ω;`=)


5月11日、土方さんも戦死し榎本軍の敗色が決定的になった五稜郭開場の前夜

「我々もすぐに行くから貴公は一足先にいってくれ」

と榎本さんが差し出したモルヒネを笑って受け取った後

それを飲み干し自決したそうです


胸に受けた銃弾で亡くなった説と上記の説など

死因は決定付けられていないようですが・・・

毒薬を渡された時の笑みは彼なりの覚悟でしょうか

自分の役目はここで終わったという安心感でしょうか

その時の様子を想像すると・・・切なくてたまりませんね


大坂から引き上げる旧幕府軍に対して涙を流して激論したり

左手を失い銃弾で負傷したとしても何度でも戦場に舞い戻ってくる・・・

なんとなく単純で猪突猛進という感じもしたのですが

それだけに彼の行動ひとつひとつが真剣勝負で

幕臣としての誇りや熱い想いまでもが伝わってきました


26歳・・・若すぎる彼の死が惜しまれますね涙

ふっ、と気づいてこんなタイトルをつけてしまいました!


本日は5月11日・・・何年も遡るとこのような出来事がありました


○1869年5月11日


箱館にて苦楽を共にしてきた仲間を救おうと馬に乗り颯爽と

一本木関門を駆け抜けていった土方歳三が戦死した日です


鬼の副長として隊士にも恐れられた京での土方

部下を慈しみそれゆえ慕われる存在であった箱館での土方


確かに、局長の近藤さんが亡くなってからガラッと性格が

変わってしまったようにも思えますが・・・

己が信じる道を突き進む姿勢は今も昔も変わっておらず

ただただ目の前の敵を斬り続け、敗戦の色が濃くなったとしても

決して退かずに闘い続けた彼の信念に今でも惹かれてしまいます


享年35歳

近藤さんが亡くなった年齢と同じですね


戦いに勝利し近藤さんの汚名を雪ぐ事は叶わなかったものの

近藤さんや死んでいった新選組の仲間のため

「退く者は斬る!!!」と叫び戦いに挑んだ土方さんの姿は

きっと近藤さん達に届いていると思いますにっこり


なかなか今日という日に合わせてお墓参りに赴けませんが

いつか行ってみたいです!


そしてもう一つ・・・


○1865年5月11日


土佐の維新活動を導き尊王攘夷を貫いた志士武市瑞山(半平太)の切腹

そして、その武市に剣の才を買われ人斬りとして京で暗躍した岡田以蔵が

処刑された日でもあります


武市さんは下位身分でありながら、文武両道で人柄も穏やか

誰からも愛される人物でした


それゆえ、黒船来航以降の時勢の動揺を受け、藩全体で尊王攘夷を

支持することを掲げた「土佐勤王党」をまとめあげ

自ら藩政を動かす力を得ていきます


彼の動かす土佐勤王党は「外国人は討ち開国に踏み切った幕府は倒せ」

という過激なものであり、彼自身も自分とそりが合わないものを密かに

暗殺するという冷酷で強引な一面を持っていたのです


その暗殺の刃として力をふるっていた者の一人が岡田以蔵でした

勉学に触れる機会もなく何の思想も持たない以蔵は

自分を取りたててくれた武市にただただ心酔し

言われるがまま暗殺者としての道を歩むことになったのです


1863年、8月18日の政変を期に尊王派は次第に力を失い

武市の暴走に脅威を感じた藩主:山内容堂が藩政改革に乗り出し

土佐勤王党は激しい弾圧を受け武市は故郷で投獄されました

同志たちは激しい拷問を受けたが武市の為にも決して自白はしません


そんな折、京で以蔵が捕縛され土佐に送られます

以蔵は拷問の末自白し、それが引き金となって新たな逮捕者が出たり

さらに厳しくなる拷問に耐えきれずに他の仲間も自白・・・

ついに武市は切腹を命じられます


2人の間には信頼があったと私は信じたいのですが

勤王活動から脱し落ちぶれていったあげく、拷問により簡単に

口を割ってしまった以蔵を武市さんは軽蔑していたとも言われています

武市さんが信頼のおける人物であっただけに

彼の傍で剣の腕をふるい続けた勇猛な志士として

記録に残ってもいいはずの以蔵が暗殺者としてのイメージを

色濃く漂わせただけの末路が残念でなりません


無学だったと言われてますが・・・

以蔵の辞世の句・・・私は好きです


君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき