ふっ、と気づいてこんなタイトルをつけてしまいました!
本日は5月11日・・・何年も遡るとこのような出来事がありました
○1869年5月11日
箱館にて苦楽を共にしてきた仲間を救おうと馬に乗り颯爽と
一本木関門を駆け抜けていった土方歳三が戦死した日です
鬼の副長として隊士にも恐れられた京での土方
部下を慈しみそれゆえ慕われる存在であった箱館での土方
確かに、局長の近藤さんが亡くなってからガラッと性格が
変わってしまったようにも思えますが・・・
己が信じる道を突き進む姿勢は今も昔も変わっておらず
ただただ目の前の敵を斬り続け、敗戦の色が濃くなったとしても
決して退かずに闘い続けた彼の信念に今でも惹かれてしまいます
享年35歳
近藤さんが亡くなった年齢と同じですね
戦いに勝利し近藤さんの汚名を雪ぐ事は叶わなかったものの
近藤さんや死んでいった新選組の仲間のため
「退く者は斬る!!!」と叫び戦いに挑んだ土方さんの姿は
きっと近藤さん達に届いていると思います
なかなか今日という日に合わせてお墓参りに赴けませんが
いつか行ってみたいです!
そしてもう一つ・・・
○1865年5月11日
土佐の維新活動を導き尊王攘夷を貫いた志士武市瑞山(半平太)の切腹
そして、その武市に剣の才を買われ人斬りとして京で暗躍した岡田以蔵が
処刑された日でもあります
武市さんは下位身分でありながら、文武両道で人柄も穏やか
誰からも愛される人物でした
それゆえ、黒船来航以降の時勢の動揺を受け、藩全体で尊王攘夷を
支持することを掲げた「土佐勤王党」をまとめあげ
自ら藩政を動かす力を得ていきます
彼の動かす土佐勤王党は「外国人は討ち開国に踏み切った幕府は倒せ」
という過激なものであり、彼自身も自分とそりが合わないものを密かに
暗殺するという冷酷で強引な一面を持っていたのです
その暗殺の刃として力をふるっていた者の一人が岡田以蔵でした
勉学に触れる機会もなく何の思想も持たない以蔵は
自分を取りたててくれた武市にただただ心酔し
言われるがまま暗殺者としての道を歩むことになったのです
1863年、8月18日の政変を期に尊王派は次第に力を失い
武市の暴走に脅威を感じた藩主:山内容堂が藩政改革に乗り出し
土佐勤王党は激しい弾圧を受け武市は故郷で投獄されました
同志たちは激しい拷問を受けたが武市の為にも決して自白はしません
そんな折、京で以蔵が捕縛され土佐に送られます
以蔵は拷問の末自白し、それが引き金となって新たな逮捕者が出たり
さらに厳しくなる拷問に耐えきれずに他の仲間も自白・・・
ついに武市は切腹を命じられます
2人の間には信頼があったと私は信じたいのですが
勤王活動から脱し落ちぶれていったあげく、拷問により簡単に
口を割ってしまった以蔵を武市さんは軽蔑していたとも言われています
武市さんが信頼のおける人物であっただけに
彼の傍で剣の腕をふるい続けた勇猛な志士として
記録に残ってもいいはずの以蔵が暗殺者としてのイメージを
色濃く漂わせただけの末路が残念でなりません
無学だったと言われてますが・・・
以蔵の辞世の句・・・私は好きです
君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき