久しぶりに古本屋へ行ってこんな本をゲットしてきました!
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高杉晋作(上) (講談社文庫)
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高杉晋作(下) (講談社文庫)
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高杉さんは「おもしろき・・・」で始まる句が好きで
その行動力はもちろんなんですが、
彼の手にかかれば時代が動く!と簡単に信じてしまいそうな
そんな奇才ぶりを幕末で魅せてくれた人物だと思います。
小説の最初は徐々に過激な攘夷運動へ奔走しようとする高杉さんの行動を
危うんだ友人達の考慮から行くことになった上海視察の場面からはじまります。
清国で高杉さんが目にしたものは・・・
その絶大な国力を持ちながらも、遥か彼方から攻めてきた
洋夷の侵略を受け腐敗しかけている大国の姿でした。
清国にとどまる間にこの大国の腐敗の原因を探る高杉さん。
そして・・・様々な民族が共存する清国内で内乱が勃発し、
その抗争を鎮めるために安易に開国してしまったことが原因の一つだと悟ります。
内部抗争の中、先進国に対して対等の立場になりえなかった清国は
助けを求めたはずの先進国にあっという間に飲み込まれてしまったのです。
法や政治体制を確立など国力を上げ、
先進国と対等の立場を確立しなければ日本も清国と同じようになる。
そして、今の徳川の封建体制では近代化を進めることは皆無。
幕府を終わらせなければ・・・国が滅びる。
高杉さんはその瞬間、革命(=倒幕)を起こそうと決意したのでした。

史実にかなり忠実な小説に、ちょっと硬さを感じたものの
高杉さんの生き方が波乱万丈なため、面白くないわけがありません。
小説の第一章でグッと引き込まれてしまいました。
ですが・・・まだじっくり読めていないということもありまして・・・
ここからは史実をもとに高杉さんの生き様をつづらせてもらいます!
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高杉さんは長く毛利家に忠誠を誓ってきた名門の高杉家に生まれました。
14才で藩校の明倫館へ通うも、旧態依然の学問を学ぶよりも
ペリー来航などの上方から伝わってくる時勢の方が気になり
勉強よりも剣術で憂さ晴らしをするようになっていきます。
勉強に身が入らない高杉さんに転機が訪れたのは、
友人に誘われて足を踏み入れることになった松下村塾の存在でした。
松下村塾では、まさに高杉さんの求めていた授業が開かれており、
夜な夜な家を抜け出しては塾に通いました。
塾を主宰する吉田松陰先生は、
「才能はあるが、久坂玄瑞ほどではない」と、負けず嫌いの
高杉さんの性格を見抜いて言葉をかけ、良きライバルとして競わせたりと
高杉さんの才能を磨く上で絶大な影響を与えます。
その後、小説にもあったように高杉さんは上海に渡ることになるのですが、
この頃の長州藩内では、長井雅楽の幕府と朝廷がひとつになって国難をのりきる
公武合体を旨とする「航海遠略策」が藩論となっていました。
しかし、久坂玄瑞などの尊王攘夷を掲げる人々により長井は失脚させられ
反論は「即今攘夷」へと一転します。
このように、ころころと思想を変える長州藩は次第に、
世間でも忠義に欠けると次第に笑い者扱いされていきます。
長州が笑いものにされたまま高杉さんは黙っている男ではありません。
藩の存続を第一に考えていた男は形勢逆転劇を考えます。
ここから、尊王攘夷を藩論とした今こそ、諸藩に先駆けて実践し、
力を示すしかない!!!と数々のすごいことを成し遂げることとなります!
一度「攘夷決行!!!」と決めた高杉さんの突っ走り方は半端ないですよ~
以下、私がスゴイ!と感じたことをピックアップさせてもらいます(*´・ω-)b ネッ!
スゴイコト①
狂挙(何もかも棄て理性まで捨て突入する)と名付けた行動を実践!
1862年に品川御殿山の英国公使の焼き打ちします。
これにより、対幕府との戦争勃発を目論んでいたのですが・・・
死亡者もでなかったため事件はうやむやになってしまったそうです
スゴイコト②
庶民を動員した「奇兵隊」を結成
身分を廃する実力主義で鵜合の集を軍隊として組織しちゃうなんて
高杉さんの力量を肌で感じちゃいますね。
自らは上級武士の高杉さん、その誇りがあったはずですが
松陰先生の教えの影響や塾生との交流から家柄や身分にこだわらず
大切なのは「志」だという見方が自然とできるようになっていたんでしょうね
スゴイコト③
対イギリスとの交渉でも全く引かない肝っ玉
攘夷の一環で外国船へ砲撃を繰り返していた長州藩ですが、
戦力差により追い込まれ、1864年イギリス・アメリカ・フランス・オランダの
そうそうたる列強の国々が下関に襲来します。
敗戦が濃厚となり、その時の講和役に抜擢されたのが高杉さんでした。
賠償金300万ドル支払いを拒否し、怒りの矛先を幕府に向けさせ、
彦根島の租借もうまいこと煙に巻いてしまいます。
列強VS日本国の中のたった一つの藩・・・植民地化してもおかしくない状況で
敗戦側と思えないほどの放漫さと毅然とした対応はお見事
スゴイコト④
数名で決起し、藩論を討幕へ覆す
禁門の変で長州が幕府に敗れたことにより、藩内では幕府に恭順を示す
「俗論派」という派閥が、攘夷を提唱し続ける「正義派」を粛清し始めていました。
正義派の多くが決起を渋る中、高杉さんは僅か数名を引き連れて出陣!
藩論を一気に覆してしまったんですね。
スゴイコト⑤
勝手に購入「丙寅丸」
1865年に朝廷が幕府の長州征討を認め、
まさに長州VS幕府の四境戦争(第二次長州征討)が勃発しようとしている最中、
高杉さんは一隻の蒸気船を幕府との戦に役立つからと独断で契約。
・・・桂さんが事を丸く収めたそうです
もちろん、戦争では役だったのですが・・・藩の非難をもろともしない
彼の決断力はスゴイというかぶっとんでますね
(しかも以前にも購入しようとし、その時は失敗したそうです)
いや~ほんと細かくみてくとスゴイことを拾いきれないので
このあたりで打ち切りますが、権力をも恐れない大胆さ。
列強にも一歩も引かず、幕府へ恭順という方に傾きかけた藩論をも
自分の信じる正しき道へ引き戻してしまう。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも行くべし」
上記は、1859年安政の大獄により投獄されていた松陰先生が
伝馬獄から送った高杉さんの手紙への返答の一文だそうです。
先生の言葉を大切にしていたんだろうなってことを、
高杉さんの行動を追ってきて痛切に感じましたね。
そんな高杉さん、最初は文筆業で身を立てる事も考えていたそうで・・・
今までの話を聞くと、詩人の道なんて嘘のようですよね。
その後、詩を読むことを辞めたわけではなく、
高杉さんは生涯で400篇近くの漢詩を残しているそうです。
くじけそうな時、自分を奮い立たせようとするために
弱いところを全て詩文に乗せて封印していたのかな・・・
それとも・・・「面白きことをもなき世を面白く」
と詠んだように、戦禍に身を投じながらも、
時に詩を読み、時に絵を描き、時に三味線を打ち鳴らし
自分の愛したものをトコトン楽しんだのかなぁと
短い人生だったなんて言わせないくらいの強烈な印象を与えてくれました![]()




余談ですが、歴史検定2級の勉強をしている時に

















