こんばんは(^O^)/


昨日の金曜ロードショーで早くも「るろうに剣心」が

地上波放送されていましたねテレビ

好きなシーンがちょこっとカットされていて残念でしたが

やっぱり剣心かっこよかったです~音符


そういえば、2014年夏!

るろうに剣心の続編が2部作連続で帰ってきますねキラキラ


『るろうに剣心 京都大火編』(前編)

『るろうに剣心 伝説の最期編』(後編)


おお~これは前作のつづきに加えて宿敵の志々雄真がでてきますね~

ということは私の好きな宗次郎もでてくるということですね~

嬉しい限りですルンルン


また佐藤健くんの剣心役が見られるのも嬉しいのですが、

隠密御庭番衆や十本刀が出るであろう続編のキャストが今

すっごく気になっています!


実は、原作を読んでいるときから志々雄真のイメージだけは

自分の中でこの人だ!!!ってあったんですよね

その方は・・・伊勢谷友介さん!

スマートだけど鍛えた感があって独特の目力があってぴったりハート


・・・って一人で盛り上がってた時期があったのに

志々雄真だけは藤原竜也さんってすでに公開されてましたプ


藤原さんなら演技力もあるし~きっと悪役の志々雄を精一杯

演じてくれるんだろうなぁ~でもやっぱり伊勢谷さんぴったりじゃない?

と、旦那に話したところ・・・


「志々雄は常に包帯巻いてるから誰でもいいんじゃない~~???」


と一蹴されましたoo


それもそうかと一瞬思ったのですが、すぐに我に返り

バカモノ~!!!と言ってやりたくなりましたね


それはそうと、蒼紫様や宗ちゃん、誰が演じてくれるのかなぁ~と

るろ剣ファンには待ち遠しいお知らせでした♪




話は変わりまして、先日のマイバースデーに

近所にあるロールケーキ屋へ行って、初めて「プリンロール」を買ってみました





藤栄堂さんは静岡でけっこう有名なロールケーキ屋なんですが

ハーフサイズでもこんなに大きいんです!


最近プリンにはまりまくっている私としては

ロールケーキにプリンはどうだろ?と勘ぐってしまいましたが

冷蔵庫で冷やしたものを食べて感激~!!!

ほんと美味しかったです好き





これは、記念日じゃなくても買ってしまいそうです(´∀`)

こんばんは!


ちょ~っとご無沙汰になっちゃいましたが

暑さに負けずに何とか生きています(;´∀`)


7月になってだいぶ暑くなってきましたね

7月といえば・・・かなり私事ですがマイバースデーがもうすぐなんですバースデーケーキ


今まで自分と同じバースデーの有名人は松方弘樹さんしか居ない!!!と

長い間思ってきたのですが最近ちょちょいと調べてみた所、

ある戦国武将さんとある幕末の志士と同じ誕生日だったんですよ♪

・・・あ、ちなみに7月23日です( *´艸`)


というわけで今回と次回のブログでご紹介したいと思います!


今回は戦国武将さんの方をご紹介!

その方は4兄弟の次男で九州の大名!島津義弘さんです!


島津は九州の大大名としてよく耳にすることはあったのですが、

今までちゃんと調べたことなかったなぁ~

しかも同じバースデーだなんて!単なる猫好き繋がりだけじゃあ勿体ない!

・・・と急激な親近感に駆られて調べてみることにしたのでした笑


                     マルキラ☆


島津義弘は「鬼島津」と恐れられる猛者ってイメージだけ持っていたんですけど

初陣では意外にも5本もの矢に射られて重傷を負ったそうです

ある意味それだけ矢を受けても生きていたから凄まじいですね


義弘が初陣を飾ったころの島津家は、

まだ九州で確固たる地位を気づいていた訳ではなく、

日向国の伊東義祐と城の奪い合いをくり返していました


そんな奪い合いの中でも兄と弟と共に出陣した際に

義弘さんは重傷を負って撤退を余儀なくされたこともあったようで・・・

「鬼島津」という名から勝手に無敵のイメージだったんですが、

若き頃は結構生傷の絶えない方だったんですねバッテン


それでも兄:義久が家督を継ぐと、九州の桶狭間といわれる木崎の戦いで

日向国の伊東氏を僅かな兵で打ち破りましたキラキラ

その後の義弘は勢いづき、本国を守る兄に変って武功を挙げるなど

献身的に兄を支え、島津氏は豊後の大友領まで侵略するほどになっていきます


そんな島津家も九州に責めてきた豊臣秀吉に最後まで徹底抗戦するも、

圧倒的兵力には太刀打ちできず兄の説得により豊臣政権に下ることになりました


秀吉のもとで、義弘は兄とは対照的に秀吉に協力的で、

無謀ともいわれた2度の朝鮮出兵にも参加しています帆船


実は私が聞いたことのあった「鬼島津」はこの時生まれた異名らしいです!

「鬼石曼子(グイシーマンズ)」として恐れられたという記録があるそうで・・・

なんといっても明・朝鮮役20万という大・大・大軍を討ち取ったと

伝わっているそうなので、その活躍ぶり!さぞかし鬼のように見えたことでしょうね


豊臣政権下でも活躍した義弘ですが、

実は天下分け目の関が原に際しては、散々な目にあってるんです汗

ざっと数えただけでも不運が4つも・・・(;゚Д゚)


まず一つ目の不運

反豊臣的な兄:義久と親豊臣的な義弘との間で兵が分離し、

一人大坂に居た義弘は、薩摩の兵を動かす決定権がなく、

大阪にあった少数の兵しか動かせなかったのです

(それでも義弘を慕う兵が薩摩から駆け付けたというエピソードもあり

 義弘が家臣にも優しい将であったことが伝わりますね)


二つ目の不運

家康からの援軍要請で、東軍につくと決めた義弘は伏見城へ駆けつけるも、

鳥居元忠にその事が伝わっておらず追い返されてしまいます

(なんで伝わってないの~?誰かの陰謀?とか勘ぐってしまいます)


三つめの不運

伏見城を追い返されたことを機に西軍に鞍替えした義弘でしたが、

大大名の島津軍の兵がたった1500ほどであったため

西軍の武将たちは島津を軽視し、前線に布陣していた島津隊を見捨てたり

義弘が提案した夜襲作戦を全く聞き入れてもらえなかったりと

不当な扱いを受けてしまいます


四つ目の不運

完全に戦う気力を失った島津軍は、戦場に赴くも兵を動かすことはせず

戦況を見つめていたのですが、小早川の裏切りにより西軍が総崩れになり、

島津の軍は退路を断たれ、敵中に孤立することとなります


・・・


こんな風になぜか不運が重なりに重なってしまった義弘さん!

まさに絶体絶命カミナリですよね!


このピンチを乗り切るべく義弘さんはあっと驚く行動にでます!

なんと、敵が少ない方へ逃げるのではなく

敵陣を正面突破することを決意したのです!!!


「捨て奸(すてがまり)」

これは、その際に島津軍が用いた戦法ですが

何人かずつが留まって死ぬまで戦い、

全滅するとまた新しい足止め隊が死ぬまで戦うという壮絶なものでした


敵陣突破の際、すでに300くらいまで減っていた島津兵・・・

ほぼ生還率がゼロに近い足止め隊の決死の突撃のおかげで

徳川方の松平忠吉や井伊直政へ傷を負わせるなど敵軍にも代償を与えました

義弘は奇跡的に薩摩まで落ち延びることはできましたが

甥の豊久をはじめ、多くの犠牲をだし、

薩摩に戻ったのは僅か80名ほどだったといわれています


多くの犠牲の中の生還であったことは忘れてはいけませんが

敗走劇がこんな風に鮮やかに伝え残っているのは

やはり島津兵の勇猛果敢さが突出していたのだなぁと改めて思いますね


帰国後、義弘は家康に恭順の意を示すものの、

薩摩に多くの兵を残している島津氏を家康は潰すことができず

特に大きな処罰は受けませんでした


家康にとっては島津を残すことは心残りであったと見え、

臨終に際し、薩摩に対して睨みを利かすために遺体を西に向けて

埋葬するように遺言を残したほどだったんです


幕末の薩摩藩も情勢を読み佐幕から倒幕へ上手に鞍替えしてましたが

戦国の島津も関が原で敗戦を味わっても、敵方であった井伊直政に

仲介を頼むなど柔軟な対応でなんとかお家を守ってました

そればかりか、特に処罰もなく幕府から遠い西の地で力を温存し

260年後に徳川を潰す主力となるなんて・・・

島津の力・・・侮れませんね


それにしても家康の未来を見る目も大したもんだ~

長宗我部さん、土佐の戦国武将として知られていますけど

私の場合、すごく変わった名前だなぁと覚えたのが最初でした

長宗我部元親なんて結構インパクト強くないですか???

そういえば長宗我部さんの他にも香宗我部さんという武将さんも

いるんですよね~

実は彼らは長岡郡宗我部の地名から「宗我部」を名乗っていたところ

甲斐源氏の支流にもうひとつ曽我部があって区別するために

長宗我部と香宗我部にしたそうです

もともとは地名だったんですね!新発見pika**

長宗我部氏といえば、なんといっても一代で四国平定という

偉業を成し遂げてしまった元親さん!

私の場合…
どうしても戦国BASARAのアニキキャラが頭から離れず…

戦国無双の妖艶な三味線がたりキャラも離れず、

幼き頃の異名が姫若子だったなんて想像できなくなってます笑


そう、元親は1560年長浜の戦いで初陣を飾り見事な槍働きをみせました

22歳と遅い初陣と容姿で姫若子と揶揄されていた元親も、

これをきっかけに鬼若子と称されたそうなんです!

姫若子の容姿で鬼若子と呼ばれるほどの強さ
さぞかし美しく強いお姿だったでしょうね(●´ω`●)


先の戦いをきっかけに、1568年に本山氏を降伏させた元親は、

勢いそのままに安芸氏を八流の戦いで撃破、

残る一条氏を渡川(四万十川)の戦いで破り

念願叶って土佐国を全て平定しましたキラキラ

ここまで着実に自分の周りの地盤固めを進めてきた元親ですが、

決して狭い視野だった訳ではありません!
戦の他方ではしっかりと中央とのパイプを持ち、

情勢をつかもうもしていたんです

なにしろ元親の妻は、明智光秀の重臣の斎藤利三の妹ですし、

生まれた子供の名前を織田信長から一字もらって信親としたそうですから
こんな風に信長にも取り入っていたんですねうんうん


土佐平定を成し遂げた元親。次の目標は四国平定だったのですが、

阿波の三好氏を攻めようとした時、信長から国取りを止められました

同盟関係にあるはずの信長も、徐々に勢力を広めようとする元親を

実は警戒していたんですねカミナリ

これを機に敵対関係となってしまった元親と信長・・・

信長の圧迫で窮地に陥った元親でしたが、

本能寺の変で信長が亡くなり信長からの元親討伐軍が撤退したため、

四国統一を急ぎ、なんとか統一にこぎ着けることができたのです


信長が元親討伐に赴こうとした矢先に起きた本能寺の変!

ほんとすごいタイミングですよねΣ(・ω・ノ)ノ

偶然にしてはあまりにも出来過ぎていると

「明智光秀は元親を救うために信長を討った」という説が生まれたほどでした

まぁ、そんな運も持ち合わせていたのかもしれませんが、

元親が一代で四国を統一できた背景には、

「一領具足」といわれた家臣たちの存在がちゃ~んとあったんです!

彼らは普段は田畑を耕しいざ合戦となればすぐに戦場に駆けつける

農民でありながら兵である大切な存在でした。

彼らが元親の軍事力の源となっていたんですね

さて…四国統一を達成した元親ですが、

やっと四国を手中におさめた頃には、秀吉の巨大勢力が待っていました・・・
信長を退けても次は秀吉が押し寄せてくる

元親にはもう秀吉に対抗する力は残されていませんでした

秀吉に屈してからは、溺愛していたという自慢の息子を

九州討伐の際に失ってしまいます*namida*
相当ショックだったのか、元親は息子の死によって性格が変わってしまい、

その後の元親の決断は、以前とは比べ物にならないほど精彩を欠くものでした


本当に大切にしてきた者の死は、一瞬にして今まで積み上げてきたものを

崩してしまうことがあるんだなぁと感じてしまいます

でも、個人的には息子の死にも泣けずに冷静さを保っている人よりも

人間らしい所を持ってるんだなとちょっと共感してしまったんですけどね


元親をも変えてしまった長男信親の死は、

その後の長宗我部氏の滅亡を予期していたようなものになってしまいました

やはり乱世といわれる戦国の世・・・

ちょっとした亀裂からすぐに崩壊してしまう恐ろしさがありますね


最後の方は、息子さんの死の痛手と秀吉に翻弄されがちの生涯でしたが

土佐という京都にも遠く山地も多い不利な土地の

ハンデキャップをもろともせずに四国統一を果たし、

中央の勢力にも立ち向かおうという野心を持ち続けた元親のパワーは

今の私たちにも見習う所は多いと思います!!ハート☆


そんなパワーの持ち主ですから

かっこいいアニキキャラが人気を博しているのも無理ないですよね!