「どうしても」「なにがなんでも」「絶対に」
こういう感情って、歳を重ねるたびに薄れていくんじゃないかと思うんです。
年寄りの「頑固」とはまた別の意味で。
久々に、そういう感情を思い出した一ヶ月でした。
昨日。今年から始まる本番初日。
どうしても、どうしても、この初日に、自分が出たかった。
いつもならダチョウ倶楽部並みに「どうぞどうぞ」ですが。
なぜなら、あの震災で被害の大きかった、石巻の中学生たちがこの初日のゲストだったから。
その学校、最後まで、一番支援物資が滞った避難所になっていた中学校だったそうです。
もっとも、建物の損害も大きく、学校自体が使えなくなったところから、この中学に転校しなければならなくなった子供たちもクラスに沢山いるようでした。
ただでさえ、あんな非常事態のさなか、知らない人ばっかりの学校に転校する心細さやさみしさもあったとおもう
地震なんか、津波なんかなければ、
小学校から仲のよかった友達と離れずにすんだかもしれない
震災、震災って去年の今頃なんて特に、日本中がナーバスな中、
周りでそれこそ身近な人がたくさん亡くなった子たちだっている
こんなことを、エンターテイメントをやる人間、
ある意味誰にでも「平等な立場」で提供するべき側の人間が、被災地だから、と思いを馳せるべきではないのかもしれない。
でも、わたしやっぱり、石巻のこの中学生たちに
自分がやるべきこのエンターテイメントの仕事の中で
会いたかった。
ボランティアとは違う、自分の、やりたいことをしている中で、会いたかった。
いつも疑問に思う。
「誰かのために」という発想に。
その人の「ために」なったかどうかって、その人が決めることで、感じることじゃないのかな、と。
だれだれのためを思って、って行動は、結局「○○してあげたかった」自分自身のため、ではないのかな。
ひねくれすぎかな、私。
「あなたのためを思って」って人にやられた事に、不快感を感じたことがある人なら、これわかるとおもう。
あんまり、好きじゃないんです。「○○のためにやりました」、っていう言葉も、考え方も。
だからね、自分の行動に関しては、「誰かのために」なんておこがましい事、考えないようにしてます。
そう、おこがましいのよ。○○のために。なんて。
全ては、自分が、「やりたいから」やったこと。
「だれかのために」やったんだから迷惑だったとしても親切心なんだからいいでしょ!っていう逃げ道とか言い訳なんかいらんと思うんだけどな。
人間て、絶対に、自分がやりたいと思うことを、選んでる。
人の「ため」じゃなく、自分の「ため」でもなく。
「やりたいことだったから」
が一番しっくりくるんです。
で・・・ああ・・・また長くなってしまった。
その、どうしても出たかった初日。
無事に、やりきることができました。
稽古時から修行みたいになってましたこの一ヶ月・・・( ゚-゚)
でも今回は、わたしの「どうしても」のパワーが支えてくれたなーと思う。
めずらしく、体調が健康体のままでしたもの、この一ヶ月。
マスク毎日二重にしてたし。
しかし、がんばった
久々に。
最後、感涙している子をみつけてしまったとき
言葉つまりそうになりました
始まりの瞬間のわくわく顔も、途中客席行ったときの恥ずかしそうな顔も、最後のキラキラな顔も
石巻の子たちだから特別、なわけでは決してないけれど
あの子たちの楽しい思い出の一部分にでもなれたなら、
もう、この腰痛とか喉のガラガラなんて・・・・吹っ飛ぶわ!
うれしかったな。
んでもって・・・・
5月からまた別件のショーの稽古がもう一本はじまります・・・
しかもスケジュール、届いて仰天・・・
全日、18:30~26:30・・・・
26時・・・??
地球にそんな時間あったのね・・・
( °д°)
がんばりますとも。
「どうしても」、がんばりたい事があるうちは。全力で。