介護地獄……。
そう書いてしまうとどんな過酷な生活をしているかと思われるかもしれません。
私は飲みにも行くし、こうしてブログを書けるんだから余裕はあるのかもしれない。今、ショートステイに行かせているということもありますが。
でも、介護をしている人は、それはどんな介護であっても「地獄」なんだと思います。
ずいぶん介護関連の本も読みましたが、印象に残る言葉がありました。
正確には書けませんが、ニュアンスとしては介護は誰にとってもつらいものであるということです。それが要介護1だろうが、5だろうが、段階は問題にならないと。
程度の差がいくらあっても、つらいものはつらい。
誰にとってもつらいものなのです。
私の場合、つらいことは分野別にいろいろありますが、「言葉」もボディーブローのようにきくものです。
まず、マイナスの言葉しか発さない(母親は84歳、中程度の認知症ありです)。
「この家は私がいなくなったらどうするの?この家に一人で住むの?」
(そんなのいなくならないとわからんわ)
「何かおいしいものが食べたい」
(いつもそんなにまずいもの食わせてるかよ。一食1000円もする宅配弁当食わせてるだろうが。注:一食1000円する宅配弁当は珍しいです。おいしいものってなんだよ。具体的に言ってみろよ)
「あーー、ちょっと座っているだけで腰が痛い」
(知らないわ)
「もうあと10日でお別れね」
(こないだもそう言ってたわ)
「もう無理、今日で終わり。さようなら」
(……)
「あーー、目が回る」
「あーー、息苦しい」
ずっとこんなことばかり延々と言っているわけです。
毎日、マイナスのシャワーを浴び続けているようなもので、こっちまで具合が悪くなってきます。
あとは、毎日同じことを聞き続ける。
「今日は何日?」
(一日10回は聞く)
「今日は何曜日?」
(一日10回は聞く)
「今日は誰か来るの?」
(ショートステイに行かない限り365日ヘルパーさんが来てるだろ。往診の先生も月2回来てるだろ。在宅看護の看護師さんも2回来てるよ。うちには誰か彼か毎日人が出入りしてるよ。こんなにいろんな人とかかわっているうちもそうそうないんだよ!)
「こんな生活していたらお金がたまって仕方ないでしょ」
(…… ←怒りでワナワナする)
この言葉もかなり強烈です。また改めて書きますが、介護にはお金がつきもの。お金がかかって仕方ない。湯水のように水道の蛇口をひねるようにお金が出ていきます。自分は何もしていないからお金がたまるという思考回路(あるのかどうか知りませんが)だから、そういう言葉が出るのでしょうが、こちらからしたらたまりません。
とにかく挙げていけばキリがない。
現実とは真逆のことを言われることが多く、たまらないわけです。
「今誰か来た?」
などもそう。
誰も来ていないのにそうくる。
返事をする気というか、反応する気も失せていき、それに伴い、いろんなエネルギーが奪われ、いろんな気力が萎えていくのです。
なかでも私が大嫌いなのが、
「今日はどこか出かけるの?」
という問いです。
これは暗に「どこにも行かないで」ということを言っています。
実際、そう言われたこともありました。
私は小さい頃から束縛されるのが大嫌いで、これは男性と付き合っても同じで束縛ほどイヤなものはありません。だから、相手も絶対束縛したくない。
女友だちでたまに「あ、〇〇くんからメールだ。どこにいるか送らないと」とか束縛されて喜んでいるバカがいますが、私には???でしかありません。
人には人の予定があり、時間がある。それは彼氏であろうと親であろうと子どもであろうと同じです。人はあくまで「個」なんです。
必要以上に踏み入ってはいけないと思っています。
それを毎日聞かれる。84の認知症の母親が50の娘を束縛しようとする。反吐が出ます。
これほどイヤな問いはありません。
だから、私はいつも、
「わからない」
とだけ答えます。
上に挙げたマイナスシャワーに対しては、
「あーそう」とだけ答えるか、スルーです。
いちいち、
「あーどこが痛いの?苦しいの?あーーかわいそう」
と言われることを望んでいるのでしょうか。
そんなことを言っていたらキリがない。
かまってほしいという依存がもうひどすぎてお手上げ。
毎日うんざりです。
かまってほしい、依存型の人間への対応はスルーしかないと、3年の介護で悟りを開きつつあります。
それでも、最低限のことはしなければいけない。
地獄にいながら、なんとか光を見いだなければいけない。
私の人生です。
でも、現状は母の介護に自分の仕事や生活を犠牲にし、からめとられている。
大変な修行をしているんだなあと思います。
いったい何の修行なんでしょう。
この修行をすることで何か役に立つのか。
人として徳を積むとか、成長するとかそういったことがあるのか。
毎日マイナスのシャワーを浴びて、
食事を与え、買い物をして、リハビリパンツや尿とりパッドやトイレの消臭シートの買い置きを常に気にして、洗濯をして、さまざまな連絡を各方面とやりとりして、ありとあらゆるセッティングをして、
塵が積もれば山となる時間を膨大に取られる一連の作業は何かの役に立つのでしょうか。
ホリエモンに相談したら、
「全く時間の無駄。施設に入れなさい。以上」
と言われるでしょうね。
それには経済状態やら、そういったそれぞれの事情があります。
うちは大金を出して、いい施設に送り込むこともできないので、
この方法しかない。
そもそも地獄地獄といいながら、最後まで世話をしたいという実はけなげな思いが根底にはあるので、仕方ないという面もあるのですが、、、。
ただ、ひたすら過酷だなと。
介護の本や、ネットにもイヤというほど見られますが、
介護が終わるとき、それは親が亡くなるときです。
つらいつらいと言っていて、解放されたい。されたくてたまらない。
でも、それはすなわち「死」を意味するので、そこから先はもう思考停止です。
だから、結局、言葉や言動のマイナスシャワーを浴びながら、世話をする日々がただ続いていく、その流れに乗っているしかない。
それが介護をしている人たちの現状というか、日常なのではないでしょか。
そして、自分の生活は疲弊でどんどん狭まっていき、楽しいことがあまりなくなって、楽しもうという気持ちさえどこかなくなっていくような。。。
どうしたらいいのかという思いを漫然とだきながら、毎日がただどんよりと過ぎていきます。
自分なりにスルーする方法を見つけてはいますが、もっと改善方法があるなら知りたいものです。