ショートステイから帰ってきて3日目で、もう顔も見たくない状況です。
今回は3泊4日と短かったため、こちらの休養が十分でなく、気持ちの切り替えができていないうちに帰ってきてしまったため、もうこの有り様。
次回は18日からなので、まだあと9日も行かせるまで日にちがある、、、顔が見たくないというのは相当マズいです。
朝ごはんをやって、薬を飲ませるという日課が終わると、
この蒸し暑いのに寒いというので、かけ布団を厚いのに替え、クーラーを止める。
息苦しいから往診の先生に来てもらいたいと言う。
往診の先生は決まった日にしかこないことになっているのに、いつでも来てもらえると思っているのが腹が立つ。
この手も足も出せないダルマはいつだって、自分の思いどおりになると思っている。
また救急車に乗せて病院に連れていくと思うと、こちらも吐き気がして気が遠くなってくる。
救急車に乗せて何度病院へ連れていったか、付き添ったか。50回はくだらない。
病院へ付き添うのが、入院させるのが、見舞いに行くのがどれだけこちらの負担になるかわかっているのか。
「もうお見舞いなんか行かないからね。こっちはめんどくさいんだから。もううんざりなんだから」
と悪態をつく。
それでもしばらくすると落ち着いたのか、「蒸し暑い」という。
また薄いかけ布団に替え、クーラーをつける。
2年半以上、こういったことの繰り返しだ。
私を自分の手足くらいに思っている。自分の思いのままに動くと思って
いる。
というか、自分のすることは食べて、寝て、排泄することだけ。それしかしないで生活している。
それ以外のすべては私がやっているのだ。それをまずわかっていないことに異常に腹が立って仕方ない。
私はあんたじゃない。この人のしたいことを全部私が手となり足となり身代わりになってやっているのだ。この人の分と私の分と二人分私が行っているのだ。それをこの人は当然としている。
こんな理不尽な生活があるだろうか。
全部自分でしろよーーーーーっ!!
そういって逃げたしてしまいたい。
全部やめてどこかへ行ってしまいたい。
そんなできもしないことを時々思いながら、介護地獄の渦のなかにいる。
上に書いたことは、楽しみにしていた全米オープンテニスの錦織×ジョコビッチ戦を見ながら行っていた。
本当は集中してみたいが、今の私にはそれが望めない。
この手足のない動かないダルマのせいだ。
生きる屍のせいだ。
錦織があっさり負け、少し仮眠すると、もう昼の時間。
ダルマがいる間は私の時間はダルマに与える餌の時間と一緒に回っている。
ダルマには吟味を重ねて選んだ1食1000円もする宅配弁当を与えている。
(ダルマと書くのが疲れたのでやめます)
最近言い出したのは、
「これ(お弁当のこと)今日の?」
だ。
これがまた私の気持ちをたいそう逆なでする。
昨日の宅配弁当を業者が配達するわけがない。
なぜそういういちいちどうでもいい、あり得ない問いを投げかけてくるのか。認知症というのは、そういう病気なのか。
わざわざ介護者の神経をさかなでするあり得ない質問をするような病気なのか。だとしたら、それはそれですごいことだと思うが。
スルーが基本だが、あまりに腹が立つと、ひと言言ってやりたくなり、こう言ってしまう。
「昨日のものを配達してくるわけないでしょ!!」
「昨日のものなわけないでしょ!!」
とにかく、口を開けばこのように無意味な時間と無意味なやりとりで、こちらの気持ちが煮えたぎるようなことしか言わない→頭にくる→顔も見たくなくなる
という悪循環だ。
こういったことが次にショートステイに送り込む18日まで延々と続く、、、。
顔も見たくなくなると、私は別の部屋で食事をとるようになる。
それがもうアウトの証拠だ。
顔も見たくない。目を背けたい。かかわりたくない。
同じ空間にいられない。
18日までもつのだろうか。もたせるには食事を与える以外、極力かかわらない、おかしな質問はスルー、無視する。それしかないのだ。
これを健全な生活とはどう考えても言わないだろう。
私の心が壊れてしまう。
でも、介護を放棄して、施設に入れてしまえばすべては終わってしまう。
そうしないことだけが私のモチベーションだ。
だから、顔も見なくていいのだ、無視でいいのだ、スルーでいいのだと言い聞かせるしかない。