また糸が切れてしまった。
しばらく母の顔を直視することができない。
世話をする気が失せてしまった。
2年半の間にこんなことは幾度もある。
また忘れてしまうんだろうが、書き残しておいたほうがいいと思った。
忘れてしまうのは、自分があまりに不憫ではないかと思うからだ。
見返すことはないだろうが、何をされたか言われたかしっかり書き残しておいたほうがいい。
というか、そうでもしないとやり切れない。
今回もかなりキツいものとなった。
ことの概要はこんな感じだ。
私は母の食べるものには一番気を遣っている。
それが唯一で最大のことかもしれない。
なぜならもう母には食べることくらいしか楽しみがないからだ。
何度も書いているように宅配弁当は1食1000円するものだし、その他に食べたいものを母が言えば、すぐに買ってくるようにしている。
(「何かおいしいものが食べたい」が口癖。何かはなかなか言わない。そこにも母の私に決めてほしいという依存心が垣間見え、私のすべての気力を削ぐのだが)
言うときにはこちらから促さないと言わない。いったいどこまで人に頼るのかと思う。うなぎ、ステーキあたりで手を打つことが多い(それで悪くないというような感じだ。いったい何様なのか)が、好きそうなものも含めて、極力買ってくるようにしている。
あまりお菓子のようなものばかり与えていては体に悪いので、今年はお弁当の邪魔にならない枝豆と、私が外出するときは腹持ちもよく母が好きなとうもろこしをゆでてダイニングテーブルの上にいつでも食べられるように置いて出かけていた。
先日もでかけようとして、またとうもろこしをゆでて、
「出かけるから」
と言って、とうもろこしをテーブルに置くと、
耳を疑う言葉を発した。
「飽きた」
飽きた? 飽きただと? いったいどうしたらその言葉が出るのか。
自分では一切なにもできない人間がそんなことを言える立場にあるのか。
私がどれだけ体と気持ちを削って、この人の世話をしているのかこの人には一切伝わっていないのか。
私は8月半ばに子宮筋腫の摘出手術をしたばかりで、だいぶよくなってきているが重いものはあまり持ちたくない。
退院したのは19日。しばらくは痛みでろくに外出することもできなかった。入院から退院まで母はショートステイにあずかってもらっていて、24日が期限なので、迎えに行かなければならなかった。
まだ痛い体をひきずるように迎えに行ったが、迎えに行ってしまえばもう日常だ。買い物、食事の世話。買い物をして重い荷物を持ち、痛みの残る体をかばいながら世話をする。
お腹を10センチも切る手術をして自分のことだけで精一杯なのに、母はおかまいなしだ。
自分の構ってほしい要求を次々とぶつけてくる。
手術をした私より、自分ファーストなのだ。どこまでもこの人は。
母のために重くて高価な1本250円もするとうもろこしを何本も買っておいた。他にも買い物をたくさんして持って帰り、疲れ切る日が続いた。本当は買い物なんかしたくない。お弁当代だけでも毎月高額になるのに、食べたいものを与えていれば、お金は蛇口をひねるように出ていく。
そして、そんなふうにやっとの思いで買ってきて、お腹がすいてはかわいそうだと思い、出かける直前に時間をさいてゆでたとうもろこしを「飽きた」という権利がこの人にはあるのか。
なぜそんなひどい言葉を投げつけなければならないのか。
これだけ介護をしてきて、その結果がこれなのか。
介護をしてきて、言えることは、この人にはこちらがよかれとして思ったことがすべて裏目に出る。というか甲斐がない。
買っても食べないこともあるし、残すこともある。「おいしくない」「まずい」と言うこともたびたびだ。
お金を捨てているようなものだ。それでも、食べることしか楽しみがないのだからと思ってせっせと買ってきていたが、もうやめようとこういうことがあると思わざるを得ない。
もう一つ理由はあって、私がでかけると言ったから、さみしくなってそう言ったというのもあるだろう。それがさらに私の気持ちをざわつかせる。
私はあなたのために外出もしてはいけないのか。楽しんではいけないのか。ずっとあなたに張り付いていろというのか。あなたの残り少ない人生にこちらだって貴重な私の時間を捧げろというのか。
もうどうしようもなくなって、そのとうもろこしは台所の三角コーナーへ投げ捨てて出かけた。
介護される側にもされる資格というものがあるのではないだろうか。
こちらは家族で、いろいろ複雑な気持ちがある。他人と違って割り切れない思いを抱いているので、ヘルパーさんなどプロとは違い介護も難しくなる。
そういうハードルの高さがもともとあって、そのうえでこちらにも感情がある。こちらにも血が通っているのだ。割り切るということがもともと無理なところがたぶんにある。
認知症は本当に厄介な病気だが、介護されるにも資格があるとすれば、言ってはいけない言葉を発したり、してはいけないことをした場合、やはりそれは介護する側のもう限界ということになって、資格があるとはとても言えないと言いたくなる。
私がショートステイから入所へと切り替えないのは、母のモチベーションの問題だけだ。
私への依存だけで生きているような人間が、私から捨てられたと感じたら、もう家には戻れないと思ったら、それだけで生きる気力をなくすだろうと思うから、その一点で入所させる決断をとどまっている。
でも、このようなあり得ない言葉を投げつけられると、その気持ちも大に揺らいでしまう。
それ以来、私は母に言葉をかけていないし、顔も見ていない。
ただ、食事を出して、自分の部屋に戻る日が数日続いている。
こんなことはもう数十回とあった。
澱のようにそれがたまっていき、私は永久に施設に入れることを決断するのだろうか。
介護の終わりを考えないようにするのと同じように、私はここでいつも思考を停止する。