人工股関節から東京マラソンへの道 はあるか? -2ページ目

1月25日 マイコースを完走する

あちこち痛みがあった翌日の16日
いきなり全体の痛みがなくなって
なんだか足取りも軽く感じるようで
そこからまた1日おき2日おきに走りに行ったが
相変わらず距離は延ばせずにいて
6キロから7キロくらいでウロウロしていた

どうしてこんなにできないのかと考えたら
練習が不足しているので体がつらいのもあるが
一番は、辛抱する気持ちが足りないのだと気がついた

股関節のこともあるため用心してはいるが
その用心を言い訳にして、ちょっとの違和感でも
気持ちが先に止めたくなってしまうのだ

ということが分かったので
ともかくマイコースおよそ10キロを完走すると決めた
そしてこの度初めて時計を動かした

結果、ひたすら無心に走ってみたら
やればできるじゃない、私照れ
キロ7分49秒だったけど、これでいけばゴールできるじゃないグッド!
これでずっといければね、おつりまでくるんだからチョキ

とは言え
これは11月中には達成しているはずのことだ

13年前のホントのホントに走り始めの時
確か3週間弱で10キロまで距離を延ばした
それから考えると今回の2ヶ月近くは
何でこんなにかかったかという体たらく汗

加齢には勝てないねぇということなのか、そうなのかドクロ

そしてこの2ヶ月の遅れは取り戻せるのか叫び






1月15日 ゆずれ~るについて考える

風邪の治りかけでグズグスと正月休みを過ごし
ようやく11日になって走りに出かけたが
思いのほか消耗していたらしく
体が重だるいので4キロほどで帰って来る汗
体が重いのが物理的にじゃないといいけどあせる

その後も腰の痛みがひどかったり
股関節が痛いのか筋肉が痛いのか
どちらかわからないけれど痛みがあったりで
キロ8分くらいのLSDペースなのに
5キロくらいで止めて帰って来ることが続き叫び

東京マラソンにゆずれ~るはあるのか
ゆずれ~るしたほうがいいのか
いつまでならゆずれ~るを使えるのか
くよくよと悩んでみたりしだした

いっとき、かなり本気で考えてみたのだが
もしもゆずれ~るを使って、私が走らないとなると
相棒とみやちゃんに多分怒られることになる

というのも、毎年3人でエキスポとレースのボランティアをしているからだ
ただし、レースのボランティアをするのは
みやちゃんも私も当選していないときに限る
どちらかがレースに当選したときは
ボランティアに申し込まず、応援に回るのだ
ということで、今年は私が当選したので
3人でエキスポのボランティアには申し込んだが
レース当日のボランティアには申し込んでいない
つまり、今さら、走りません、とか言えば
えーっ、じゃあボランティアしたかったじゃんビックリマーク
と言われるに決まってるし、私自身だってボランティアしたかった

というあたりを考えると、今さらゆずれ~るじゃないな
そして、単に棄権表明をするにはまだ早すぎるな

さらに、エキスポのボランティアとして見てきた
ランナーさんの顔写真の登録やリストバンドの装着を
私自身が是非とも体験してみたいじゃないか音譜

うん、仕方ない
もう少し頑張ってみるかと思い直す私であった







12月を雑にまとめる

そんなこんなでどんなこんなか
またも体重が1キロも増えて11月が終わり

12月にはかなり練習頻度も上がって
距離が延びてるはずだったのに

相変わらず6キロから7キロをウロウロして
仕事がたてこんでいたこともあって
何回かしか走りに行かれないうちに
年末には熱を出して数日間使い物にならず汗

体重は500グラム減っただけである

ここまで全く計画通りに行っていない
気がつけばあと2ヶ月しかないのである
どうしようあせると事態を正確に把握する能力も
熱にうかされている私にはないのであった






11月25日 妄想が暴走する

大田原マラソンの休止を知ってから2日

先日、友人が股関節の人工関節置換術を受けたのでお見舞いに行った

これまでにも股関節を人工関節にした知り合いから話を聞いたり
そのことについて調べたり整形外科医から話を聞いたりしたが
手術後には行動制限、運動制限があると聞かされていた

例えば、正座ができない、胡座がかけない
ある程度の角度以上に屈曲すると脱臼の恐れがある
走るなどとんでもないあせる

人工関節にすれば痛みはなくなるが、絶対に走れなくなる
今のままなら、痛みはあるけど走ることもできる
まあこの状態を指して「走れる」と言えるかは疑問だが汗

ところが、その認識を覆してくれたのが今回お見舞いに行った友人だ

彼女の主治医が言うには、術後の運動制限は一切ないのだと
その先生は他の先生と術式が異なるそうなのだが
国際大会に出るレベルの卓球選手の手術も行ったそうで
その人は普通に復帰できるんじゃないかな、とのこと

ええっビックリマークマジですかっ!?

いきなり希望の光が見えてきたメラメラ
じゃあ、痛みもなくなって、また走れるなんてこともあったりしてびっくり
そして想像は妄想になり一足飛びに暴走する

人工関節入れて痛みがなくなって
また練習ができたりして
そうやって頑張ってリハビリしてるうちに
大田原マラソンが3年間の休止の末に復活して
頑張った私は大田原マラソンに出られたりして
でもってその頃には素敵なお年頃になってるから
この年で手術を経て再び大田原マラソン完走クラッカー
なんてなったら取材されちゃったりしてーー(σ≧▽≦)σ

・・・

妄想はとどまるところを知らない
でも、夢は現実になるかもだから頑張ろ照れ




11月23日 大田原休止を知る

大田原マラソンは私にとって特別な大会で
エントリーしなくなって以降も
LINEお友だちになっているので
レース関係のお知らせがたまに届く

そして風の噂で聞いた大田原マラソン休止を
そのLINEで詳しく読むことになった

がーーーーんガーン

いやいや、大田原マラソンが続いたところで
今となっては縁のない大会であるのだが
もっとも好きな特別な大会がなくなるのはショックである

制限時間を緩めている大会もあるなかで
あくまで4時間制限にこだわり
出走者も多くないので会場でのストレスがなく
コースも多少のアップダウンがあって好みだという
こんなに素敵な大会はない!!

その大会が休止か~ショボーン

まあ3年間の休止であって
中止じゃないだけは救いか・・・

ホントに休止ですみますように

11月16日 里芋の誘惑に打ち克つ

いまだ大江戸には東京マラソンに出走する報告はしていないし
なんだかんだ理由を言って練習会に出ていないし10月と11月の要のロードレースの応援にも行っていないので
ああこりゃ早晩クビになるなあ、今年で終わりかなあ
と、ある程度の諦念とチームへの惜別の思いとを持っていたところ
あらま、3月の東京マラソンとねりまこぶしハーフマラソンの応援でわずかにポイントを稼いでいたので
なんとか首の皮一枚でチームメンバーの座がつながっていたようだ

気を取り直して練習を続けることにするが
時計のベルトがこわれたり、予備の時計の電池が切れたり
しばらくぶりにランニングウェアの上着を着たらゆとりがなくなっていたり
事が順調に進むのを邪魔されている気がするのは思い過ごしか汗

とりあえず夕方、少し走りに行く
体も気分も軽くないので、ドタドタヨレヨレと走る

マイコースの川べりをしばらく行くと農家が出店を出している
ふと見ると里芋が並べてあるではないか
私は農家で里芋を見ると、つい買いたくなるのである

以前は時計と家のカギしか持たないで走っていたが
走らなく(走れなく)なって以降は、途中で何かあるとイヤなので
ケータイと小銭ぐらいは持つようにしているのである
なもんだから、買おうと思えば里芋を買うことができる
里芋を買おうか、買えばそこから歩いて帰れる言い訳がたつ
わー、どーしよー、買おうか買うまいか、走るのか歩くのか

葛藤の末に、私は里芋の誘惑に打ち克ったビックリマーク
そして6キロを走りとおしたのである!!

はてなマークそれだけ!?と言うなかれ
6キロだって、今の私には大変なのだからあせる
そしてこの6キロが、7回続けば42キロになるのであるグッド!

かくして里芋の誘惑に打ち勝って、やった感満載で帰って来た









11月7日 キロ6で走る

朝っぱらから銀行からのメールが入る
残高不足で口座引き落としができなかったらしい

出かける途中に最寄り駅で銀行に寄ろうと考えた

出かけるときにバタバタして時間がなくなってしまったあせる

いいや、とりあえず目的地まで行ったら銀行を探そう汗

今日の目的地はふたつなのだが
ひとつめが終わったところで銀行に寄ろうと考えた

そこで予想外に時間が押してしまったため
あわててランチをとっていたらすっかり忘れてしまった汗

ふたつめの目的地に向かってから思い出したが
その周辺に私の行きたい銀行があるかどうかわからず汗
用事が終わったら調べてみればいいやと思っていた
予想以上にその用事が面白くて楽しんでいるうちに
またもやすっかり忘れてしまっていた

思い出したのは帰り道のターミナル駅で
そこにはいつも利用している銀行がある
ちょうどいいやと思ったが、そのときおやつタイムになっていたため
やれやれ用事が終わったぞと思いながら
ケーキを食べてコーヒーを飲んでいたところであった
朝早くから用事をふたつこなしていい加減疲れてもいて
まあ、とにかくゆっくりお茶してから帰りがけに寄ろう
と思ったのに、先送りにしたらまたまたまた忘れてしまったのである

忘れて電車に乗ってから、しまったガーンと思い出したがどうにもならない
最後のポイントの自宅最寄り駅でも寄れるし
時間的にも問題ないからそれでよし
としたのに!!
どうしてか銀行にまったく寄ることができない日で
駅で降りたらぼんやりと家まで帰ってきてしまったえーん

あー、今日は疲れた~などと言いながら
上着を脱ごうとしながら時計を見た瞬間

あっビックリマークしまったガーン銀行に寄ってないあせる
と思い出したのであった

時計は17時40分を指している
18時までに入れないと口座引き落としができなくなってしまう~
(あとで確認したら19時までセーフだった)

ちょっと、銀行まで行ってくるビックリマーク
走れば間に合うから、と母に言いおいて
あわてて家を飛び出した

家から銀行までの距離はおよそ1キロである
人が並んでいるかもしれず、不慮の事態を考えると
悠長に歩いてる場合ではない

とりあえず走った
頑張って走った

はあはあ言いながら銀行に着いたら
17時46分である

おお~ビックリマーク

駅までの道は一部下り坂なので
下り坂参考記録ではあるが
キロ6で走ってきたではないか(σ≧▽≦)σ

なんだー、まだまだできるなわたし、と思った瞬間だったチョキ







11月4日 できそうな気がしてくる

とりあえず、ちょびっと走ってみているのである

走る習慣がなくなって久しいので
走りに行くことを努力するだけでも
褒めてほしいものである、が

自分が勝手にレースにエントリーしてるだけで
誰に頼まれたものでもなく
むしろ反対を押しきっている部分が多いので
ひとり静かに粛々と努力するしかない

努力が足りても誰も褒めてくれないが
努力しなくても誰にも責められない
これぞ自己責任、わたしは大人なのだ
となると、粛々と努力できるかどうかが鍵とも言える

うむ、そこが難しいね、まことに汗

さて、時計は見ないで、というより
まだ時計を見られる段階ではないので
ぼんやりとした目安として川べりの柵を使う
以前から使っていたが、支柱間を何歩でいけるか見るのである

すると、現状で2本目までが8歩である
これは以前、故障をしていたりしたときと同じだ
快調に走れるときは5歩で行かれるが
そんなのは今は昔、おとぎ話である
リハビリ状態と同じで走れているんだから
今のところは十分上出来なのである

ここからあげていくんだからね、よしよし
などとまだ思っている私なのであった………



11月2日 見切り発車をする

目論見どおりに体重は減らず
本番までの5ヶ月のうちのひと月が
目に見える成果なく過ぎてしまったわけである

わけであるが、残りはあと4ヶ月なので
とりあえず見切り発車をすることにする

まあ11月から走り始めるのは
当初の計画どおりであるわけだし
この体重で走った経験はないけれども
しかも股関節が悪いわけなんだけれども
少しずつ地道に継続していけば
そのうち距離が伸びて体重も減るだろう
うんうん、ともかく始めることさ
と、まずはちょっと走ることにしてみた

長い長いブランクがあるので
欲張らずに初めての頃のことを思い出し
3キロほど走れればよしとする

ほんとの初めには1キロすら続けて走れなかったことを思えば
息が上がるだの体が重いだの言いながらも
たまに足を止めたりしながらも3キロ走れれば
今のところは十分上出来なのである

そう、ここはスタートラインなのであって
4ヶ月後のわたしを見ろよビックリマークと誰に言っているか知らないが
そんなことを、この段階の私は思っていたのであった………






10月30日 目論見が外れる

 朝の気候も歩くには適してきたことだし

マイコースのいくつかのパターンで
川の合流点の先まで行ってみたり
合流点から折れて親水公園に行ってみたり
ときには、ロングジョグ中の大江戸仲間のU子さんに
たらたら歩いている姿を目撃されたり
台風一過の川べりに落ちている蜂の巣を発見したり
近くのお不動さまにお詣りしに行ったり
あるいはお出かけして行って
母校の駅伝予選会の応援がてら
予想外の距離を歩くことになったり

まあそんなふうに努めてウォーキングをしていた10月

当面の目標は体重を落とすことだったのだが

なんとしたことでしょうガーン

30日間で、1グラムも減るどころか
700グラムも増えてるじゃありませんか
・・・!Σ( ̄□ ̄;)がーん!

運動量は(少しは)増えたはずなのに
いったいどんなカラクリで体重が増えているのかあせる

謎の究明解明はさておいても
目論見が外れた今、さて次のステップはどうするか

予定での11月は
体が少し軽くなっているはずだったので
少しずつジョグに切り換えて距離を伸ばし
さらに体重が落ちる、ということになっているのだが

さあどうするはてなマーク