彫刻家イサム・ノグチさんの「公園をひとつの彫刻」とする構想により、2005年、札幌市にグランドオープンした「モエレ沼公園」。
公園内部に建てられたガラスのピラミッドに、同氏の石彫作品「オンファロス」が寄贈されることとなり、11月17日(日)、記念式典と、トークイベントが開催されました。
まずは写真をご覧ください。
寄付をお祝いする会。関係者挨拶の後。これから除幕。
オンファロス除幕。ガラスのピラミッドに盛大な拍手が反響。
除幕直後。乾燥した状態。
上部から水が溢れ、石を伝い流れ落ちる。
時と共にゆっくりと全体を濡らすよう。
残念ながら待つ時間がないらしい。
関係者の方の機転で、間も無く水が行きわたる。
皆様お近くでご覧くださいとのアナウンス。靴を脱いで上がる。
後ろへ回って拝見。太陽光線と視線を浴びるオンファロス。
パーカッショニスト加藤訓子さんによる記念演奏。
トークショー後、レセプション前。
人が減ったのを見計らい、再度鑑賞。
左前から。なお、彫刻が置かれている石板と木板も一部。
右前から。この時、左横から安田侃さんがご覧になっていた。
ひと時そのご様子を見て、私は下がる。
外へ出ると、月夜のガラスのピラミッド。満月前夜。
振り返ると、丘陵のフォルムが明かりで浮かび上がっていた。
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11月17日は、モエレ沼公園の完成を見ることなく亡くなられた、イサム・ノグチさんの109歳のお誕生日。今年は、モエレ・ファン・クラブ設立10周年記念事業「彫刻「オンファロス」の寄付をお祝いする会/安齊重男記念トークショー」の開催で、華やかにお祝いされました。
15:00~15:30は、ガラスのピラミッド・アトリウム1Fで、式典「彫刻「オンファロス」の寄付をお祝いする会。
オンファロスは元々、イサムさんと札幌市の縁を繋いだ人物である、実業家の服部裕之さんが設立し、モエレ沼の設計統括でもある川村純一さんが設計した、株式会社ビー・ユー・ジーの本社社屋に贈られた彫刻。
服部さんは今回、世界的に計り知れない価値があるうえ、個人的にも大切な意味を持つであろう彫刻を寄付なさったのですが、除幕前のご挨拶で「オンファロスを引き受けてくださった札幌市にお礼」を仰り、それを受けて札幌市の方が「お礼を言うのはこちらの方でございます」と恐縮なさっていたのが印象に残っています。
◎オンファロス移設について
除幕されたオンファロスは、写真に写っている通り、濡れることでその存在感を増しました。私は以前、イサムさんの作品の存在感について考察したことがあります。
私が大学3年生の時、「美学」の講義で、イサムさんの人生に関する本を読んでレポートを書く課題がありました。調べると、米国と日本の戦時中、その混血であった為に、両国から誤解された芸術家なのだと知りました。
ならば、本にも誤解があるかもしれません。恐くてレポートの参考には出来なかったので、仕方がなく、彼自身が残した作品について感想を書くことにしました。
それで気づいたのは、世界各地に設置された作品の写真を見ると、元はその場に彫刻が無かったはずなのに、一度、彼の彫刻を設置してしまうと、その場に無ければ不自然だと思えること。もし撤去してしまったら、役者の居ない舞台のように寂しい場になるだろうと。それが、イサムさんが、「空間を彫刻」「大地を彫刻」した証拠ではないかと。
課題を無視したようなレポートになったのですが、驚いたことに褒めていただき、単位を貰えて安心したのを覚えています。
「オンファロス」は、イサムさんが、服部さんの会社に設置するために制作した彫刻です。当時、川村さんはイサムさんから「あなたと服部さんがやっている建物に合う彫刻ができたので見るべきだと思う」との電話を受けたそうです。
私が大学のレポートに書いたことが正しければ、オンファロスの移設は、ビー・ユー・ジー社屋にとって喪失であり、別の場所へ置いては不自然なはず。心配でした。
しかし、除幕されたそれは、不自然ではありませんでした。むしろ、濡れて輝くと、ガラスのピラミッドにあることが、最も自然であるように見えました。
オンファロスとは、ギリシャ語で「地球のヘソ」という意味を持ちます。イサムさんはそう名付けた彫刻を「社屋が完成されたらこれを置くといい」と言って、若き服部さんへ贈ったのです。
新しい置き場所は、ガラスのピラミッドの頂点の真下。建物の中心です。服部さんの寄付を受け、設置場所を探してみた時、ちょうど、その一角にオンファロスの板張り部分がぴったりと納まる、と分かったのだそうです。
縁によって贈られたオンファロスから、時を経て新たな縁を感じました。
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◎記念演奏について
除幕とお披露目に続いて、日本を代表するパーカッショニストである、加藤訓子さんによる記念演奏がありました。
ガラスのピラミッドには独特な反響があるのですが、そうでないとしても独特な音色だと思いました。その音色や響きには輪郭が無く、飛び跳ねて無限に広がっていく透明な水滴のようで、水を滴らせるオンファロスに相応しい演奏だったと思います。
式典では2曲のみの披露でしたが、同日・同会場で、夕方からコンサートも開催されました。
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◎トークショーについて
その後の60分は、ガラスのピラミッド内のスペース1に場所を移し、安齊重男記念トークショー「イサム・ノグチの彫刻と二晩寝た男」が開催されました。
アートドキュメンタリストとして、イサムさんや、その作品を数多く写真撮影された方です。親しい雰囲気で、幾つかの貴重なエピソードをお話してくださいました。
最も印象に残ったお話の一つです。安齋さんは1985年、美術雑誌「ARTFORUM」の依頼で、ニューヨークにあるイサムノグチ彫刻庭園を撮影するお仕事を受けました。
ミュージアムへ入ってみると、計算された採光で作品が置かれているので、刻一刻と光の当たり方が変わります。これは、ちょっと撮って帰るというわけにはいかないだろうと、2晩泊まり込みで撮影を敢行。
その中の1枚に、窓の外に写るマンハッタンの夜景と、明るい室内の作品が同時に写っているものがあります。その方法は、まず照明を消して夜景を写し、フィルムを巻かずに、明るい室内を重ね撮りするいうもの。後からそれを見たイサムさんは、「どうやって撮ったんだ」「すごい技術だ」と驚き、安齋さんは「これは技術じゃありません。算数です。足し算です」と答えたといいます。
撮影を終えた朝、イサムさんに「どこに泊まっているんだ」と訊かれたので、「ここです」と答えると、「送っていってやる」と。
「驚きました。飛ばすんですよ!あの人の運転。恐かったですね」
そんなお話をする安齋さんの後ろには、車に乗る前に撮った写真が映し出されていました。肩に白い朝陽を受ける、80歳を過ぎたイサムさんの笑顔。
それ以来、イサムさんは様々な場で、安齋さんを「私の作品と二晩寝た男」と紹介してくれたのだそうです。「それがね、嬉しそうに言うんですよ」と、安齋さんが嬉しそうに言うので、私も嬉しそうに書いています。
それから、安齋さんは、イサムさんは人間と自然の間に折り合いを探していたと思う、と仰いました。やりすぎてはいけないし、やらなすぎてもいけないと。
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◎トークショーについての余談
私は、安齋さんがイサムさんの作品と2晩寝た年の生まれです。
トークショーの最後には質疑応答のコーナーがあり、その時は質問を思いつきませんでした。アートを取材する仕事をしたいのに、こんなんじゃ全然ダメだぁ…と気を落としながら、夜のモエレ沼を歩き、「では、もし改めて質問できるなら、何を訊くべきだろう」と考えました。
「安齋さんはイサム・ノグチさんの作品を、数多くご覧になり、撮影されました。ご覧になった中で、一番お好きな作品は何でしょうか。また、安齋さんが撮影された中で、一番お好きな写真に写っている作品は何でしょうか。そして、それはなぜでしょうか。」
何と答えていただけるでしょうか。想像するとワクワクします。
出会いは奇跡ですね。突然訪れる出会いを、どう受けとめ、どう向き合い、何を成せるか。きっとそれが縁になる。オンファロスの移設と、安齋さんのお話から学びました。
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※オンファロスの移設について記載した幾つかのエピソードは、2013年10月1日に学芸出版社から発行された書籍「建設ドキュメント1988ーイサム・ノグチとモエレ沼公園」(著/川村純一(設計統括担当)、斉藤浩二(ランドスケープデザイン担当) 構成/戸矢晃一)を参考にしました。
公園内部に建てられたガラスのピラミッドに、同氏の石彫作品「オンファロス」が寄贈されることとなり、11月17日(日)、記念式典と、トークイベントが開催されました。
まずは写真をご覧ください。
寄付をお祝いする会。関係者挨拶の後。これから除幕。
オンファロス除幕。ガラスのピラミッドに盛大な拍手が反響。
除幕直後。乾燥した状態。
上部から水が溢れ、石を伝い流れ落ちる。
時と共にゆっくりと全体を濡らすよう。
残念ながら待つ時間がないらしい。
関係者の方の機転で、間も無く水が行きわたる。
皆様お近くでご覧くださいとのアナウンス。靴を脱いで上がる。
後ろへ回って拝見。太陽光線と視線を浴びるオンファロス。
パーカッショニスト加藤訓子さんによる記念演奏。
トークショー後、レセプション前。
人が減ったのを見計らい、再度鑑賞。
左前から。なお、彫刻が置かれている石板と木板も一部。
右前から。この時、左横から安田侃さんがご覧になっていた。
ひと時そのご様子を見て、私は下がる。
外へ出ると、月夜のガラスのピラミッド。満月前夜。
振り返ると、丘陵のフォルムが明かりで浮かび上がっていた。
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11月17日は、モエレ沼公園の完成を見ることなく亡くなられた、イサム・ノグチさんの109歳のお誕生日。今年は、モエレ・ファン・クラブ設立10周年記念事業「彫刻「オンファロス」の寄付をお祝いする会/安齊重男記念トークショー」の開催で、華やかにお祝いされました。
15:00~15:30は、ガラスのピラミッド・アトリウム1Fで、式典「彫刻「オンファロス」の寄付をお祝いする会。
オンファロスは元々、イサムさんと札幌市の縁を繋いだ人物である、実業家の服部裕之さんが設立し、モエレ沼の設計統括でもある川村純一さんが設計した、株式会社ビー・ユー・ジーの本社社屋に贈られた彫刻。
服部さんは今回、世界的に計り知れない価値があるうえ、個人的にも大切な意味を持つであろう彫刻を寄付なさったのですが、除幕前のご挨拶で「オンファロスを引き受けてくださった札幌市にお礼」を仰り、それを受けて札幌市の方が「お礼を言うのはこちらの方でございます」と恐縮なさっていたのが印象に残っています。
◎オンファロス移設について
除幕されたオンファロスは、写真に写っている通り、濡れることでその存在感を増しました。私は以前、イサムさんの作品の存在感について考察したことがあります。
私が大学3年生の時、「美学」の講義で、イサムさんの人生に関する本を読んでレポートを書く課題がありました。調べると、米国と日本の戦時中、その混血であった為に、両国から誤解された芸術家なのだと知りました。
ならば、本にも誤解があるかもしれません。恐くてレポートの参考には出来なかったので、仕方がなく、彼自身が残した作品について感想を書くことにしました。
それで気づいたのは、世界各地に設置された作品の写真を見ると、元はその場に彫刻が無かったはずなのに、一度、彼の彫刻を設置してしまうと、その場に無ければ不自然だと思えること。もし撤去してしまったら、役者の居ない舞台のように寂しい場になるだろうと。それが、イサムさんが、「空間を彫刻」「大地を彫刻」した証拠ではないかと。
課題を無視したようなレポートになったのですが、驚いたことに褒めていただき、単位を貰えて安心したのを覚えています。
「オンファロス」は、イサムさんが、服部さんの会社に設置するために制作した彫刻です。当時、川村さんはイサムさんから「あなたと服部さんがやっている建物に合う彫刻ができたので見るべきだと思う」との電話を受けたそうです。
私が大学のレポートに書いたことが正しければ、オンファロスの移設は、ビー・ユー・ジー社屋にとって喪失であり、別の場所へ置いては不自然なはず。心配でした。
しかし、除幕されたそれは、不自然ではありませんでした。むしろ、濡れて輝くと、ガラスのピラミッドにあることが、最も自然であるように見えました。
オンファロスとは、ギリシャ語で「地球のヘソ」という意味を持ちます。イサムさんはそう名付けた彫刻を「社屋が完成されたらこれを置くといい」と言って、若き服部さんへ贈ったのです。
新しい置き場所は、ガラスのピラミッドの頂点の真下。建物の中心です。服部さんの寄付を受け、設置場所を探してみた時、ちょうど、その一角にオンファロスの板張り部分がぴったりと納まる、と分かったのだそうです。
縁によって贈られたオンファロスから、時を経て新たな縁を感じました。
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◎記念演奏について
除幕とお披露目に続いて、日本を代表するパーカッショニストである、加藤訓子さんによる記念演奏がありました。
ガラスのピラミッドには独特な反響があるのですが、そうでないとしても独特な音色だと思いました。その音色や響きには輪郭が無く、飛び跳ねて無限に広がっていく透明な水滴のようで、水を滴らせるオンファロスに相応しい演奏だったと思います。
式典では2曲のみの披露でしたが、同日・同会場で、夕方からコンサートも開催されました。
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◎トークショーについて
その後の60分は、ガラスのピラミッド内のスペース1に場所を移し、安齊重男記念トークショー「イサム・ノグチの彫刻と二晩寝た男」が開催されました。
アートドキュメンタリストとして、イサムさんや、その作品を数多く写真撮影された方です。親しい雰囲気で、幾つかの貴重なエピソードをお話してくださいました。
最も印象に残ったお話の一つです。安齋さんは1985年、美術雑誌「ARTFORUM」の依頼で、ニューヨークにあるイサムノグチ彫刻庭園を撮影するお仕事を受けました。
ミュージアムへ入ってみると、計算された採光で作品が置かれているので、刻一刻と光の当たり方が変わります。これは、ちょっと撮って帰るというわけにはいかないだろうと、2晩泊まり込みで撮影を敢行。
その中の1枚に、窓の外に写るマンハッタンの夜景と、明るい室内の作品が同時に写っているものがあります。その方法は、まず照明を消して夜景を写し、フィルムを巻かずに、明るい室内を重ね撮りするいうもの。後からそれを見たイサムさんは、「どうやって撮ったんだ」「すごい技術だ」と驚き、安齋さんは「これは技術じゃありません。算数です。足し算です」と答えたといいます。
撮影を終えた朝、イサムさんに「どこに泊まっているんだ」と訊かれたので、「ここです」と答えると、「送っていってやる」と。
「驚きました。飛ばすんですよ!あの人の運転。恐かったですね」
そんなお話をする安齋さんの後ろには、車に乗る前に撮った写真が映し出されていました。肩に白い朝陽を受ける、80歳を過ぎたイサムさんの笑顔。
それ以来、イサムさんは様々な場で、安齋さんを「私の作品と二晩寝た男」と紹介してくれたのだそうです。「それがね、嬉しそうに言うんですよ」と、安齋さんが嬉しそうに言うので、私も嬉しそうに書いています。
それから、安齋さんは、イサムさんは人間と自然の間に折り合いを探していたと思う、と仰いました。やりすぎてはいけないし、やらなすぎてもいけないと。
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◎トークショーについての余談
私は、安齋さんがイサムさんの作品と2晩寝た年の生まれです。
トークショーの最後には質疑応答のコーナーがあり、その時は質問を思いつきませんでした。アートを取材する仕事をしたいのに、こんなんじゃ全然ダメだぁ…と気を落としながら、夜のモエレ沼を歩き、「では、もし改めて質問できるなら、何を訊くべきだろう」と考えました。
「安齋さんはイサム・ノグチさんの作品を、数多くご覧になり、撮影されました。ご覧になった中で、一番お好きな作品は何でしょうか。また、安齋さんが撮影された中で、一番お好きな写真に写っている作品は何でしょうか。そして、それはなぜでしょうか。」
何と答えていただけるでしょうか。想像するとワクワクします。
出会いは奇跡ですね。突然訪れる出会いを、どう受けとめ、どう向き合い、何を成せるか。きっとそれが縁になる。オンファロスの移設と、安齋さんのお話から学びました。
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※オンファロスの移設について記載した幾つかのエピソードは、2013年10月1日に学芸出版社から発行された書籍「建設ドキュメント1988ーイサム・ノグチとモエレ沼公園」(著/川村純一(設計統括担当)、斉藤浩二(ランドスケープデザイン担当) 構成/戸矢晃一)を参考にしました。