御影工高部活動、中央アルプス登山の前、我が家に来て健は「8月の山は行きたくない」と言っていました。何か予感があったのでしょうか。母の話ではお付き合いを始めたいと思っている女性がいたようで、楽しい日々を思い描いていたのかもしれません。青いバケツと蛇腹扉のついたキッチングッズを置いて、私の頭をポンと小突いて帰っていったのが最後でした。身近な人の死を体験したのは初めてのことで、しかも突然のことで、当時私は大変なショックを覚えました。
あのキッチングッズは結婚して新居に持っていき、蛇腹が壊れるまで使っていました。私の二人目の子供は、あの遭難から4年後、予定日は9月1日だったにもかかわらず1ヶ月近くも早く、8月5日の午前2時34分に産声をあげました。不思議な思いは確かにしました。健の生まれ変わりかと言う人もいました。私は生まれ変わりだとは思いませんが、命のつながりはあったのだと思います。誰もが誰かと命がつながっているように思うのです。子供は親より先に絶対に失いたくない大切な命です。はからずも逆縁となってしまった健の両親、私の祖父母にとっては、未来につながる希望のように思えたかもしれません。ひ孫である私の娘に、老いた手で祖母は綿入れの着物を2枚も縫ってくれました。遠方にいてあまり逢えなかったことが悔やまれます。
1981年年末相次いで、健の両親は亡くなりました。その両親の代わりに、当時現地に何度も行き来していた健の甥二人も。一人は私の従弟が40歳で、一人は私の兄が58歳の若さで亡くなりました。そして、私の母である健の姉も、兄二人も亡くなりました。健のことを知っている人は少なくなりました。私も長くはいられないでしょう。
逝ったら飯田まで一っ跳びです。おっと、その前にさっさと先に逝ってしまった夫に会わなくては。古びたわたしに驚くかしら。自慢の妻?だから歓迎してくれるかしら。しばらく楽しく?暮らしたら飯田へ飛びましょう。
健やK先生、5人の生徒さんにまず、丸山春雄さんを紹介します。感謝の言葉を述べます。そしてみんなで慰霊碑を見るのです。再びクマザサの覆われているかもしれません。
ほら、見てください!丸山さんに似た人が散歩していますよ。