ついに5人は発見できないまま現在に至っています。当時何度も現地入りしていた私の兄が言っていました。K先生と、山岳部部長のH君は小屋の外に様子を見に出て増水した川に流されたのではないか?T先生と生徒4人は小屋で待機し、今で言う土石流に巻き込まれたのではないか?二人だけが発見されたのはそういうことかもしれません。けれども5人は行方不明ではありません。彼ら7人は飯田市の慰霊碑の辺りで山男になっているのだと私は思っています。たくさんの善意をいただき感謝しながら、彼らなりに今もなお慰霊碑を訪れて下さる人々にまなざしを注いでいるのかもしれません。
 2004年、御影工業高校は神戸工業高校と合併し、神戸科学技術高校となりました。2006年、閉校されました。学校が存在しないということは寂しいですが、今もなお、慰霊碑を訪れて下さっている学校関係者がいらっしゃいます。有難いことです。

 Tこと高岡健は当時26歳でした。9月3日に27歳になる筈でした。独身でした。父親は72歳、母親は70歳という高齢でした。両親は4人目の子供をわずか1歳で失くしています。それに当時は息子たち二人は戦地に出ておりました。そんな時代に生まれた子に両親は健(つよし)という名前をつけたのです。それなのにこんなに早く逝ってしまうとは。両親の悲しみを想います。
 私にとって、健は3歳違いの叔父にあたります。おじさんと呼ぶには年が近く”おっさん”と呼び、兄妹か友人のようでした。健は外向的ではなかったのですが、大阪工大に入学してからは積極的に人と関わるようになっていったようです。スキーや、当時流行っていた場所によく連れて行ってもらったものです。スキー場ではK先生とご一緒したこともありました。はきはきと話され、明るい方だったことを憶えています。