炎天下でもその青年は笑顔だった。


屋根のない広い駐車場のそこここに置いていかれる

買い物カートを集めては

スーパー入り口にまとめておく仕事は、さぞかし大変に違いない。


片足に障害があり、

歩くときにそれはわかる。


寒い時も。

雨の時も。




彼の数々の言動を思い起こすと

自分を恥ずかしく感じることがある。

鼻の辺りが熱くなる。





そんな彼がイスラム教徒(一神教)でないからといって、

神さまに見捨てられるというのなら・・・


神さまは何を見ているのだろう。


人間の心の襞までも読み取れるお力があるらしいのに。





ラマダン月の前半に

望めば望むだけの願い事が授けられ、

ラマダン月の中盤に

自分の過ちの許しを神さまに乞い、

ラマダン月の後半に

地獄行きが決まっている人でさえ、許しを乞えばそれを免れる。



自分の故意による過ちも犯罪も詐欺も

謝罪(悔悟)の相手は神さまだなんて。


それも自分の天国のためだななんて。


心の痛みを伴わない、つじつまあわせの口先を

神さまは なんのために許すのだろう ?