数年ぶりのパキスタンだった。
空港から夫の実家へ向かう途中、
めちゃめちゃな運転をする車を私たちに見せながら、
夫は言った。
この国では誰も自分のことしか考えていない。
自分の身は自分で守るしかないんだよ。
日本とは違うんだよ。
日常の買い物で外に出る回数が多くなる息子たちに向かって、
夫の言葉は強くなった。
バザールに行くときも、外食に行くときも、
彼のパキスタンへの悪口は止まることがなかった。
助手席の母はうなずきながら聞いていた。
気の強い妹は無言になった。
憎んでいるかのように続く悪口の後に、
夫はこの国の現状を悲しいとぽつりと言った。
そして夫の運転も次の日には彼らと同じように荒くなっていった。
海辺に遊びに行ったとき、馬にもらくだにも乗らなかった。
だから
彼女に聞かれたときに、
”馬には乗らなかったよ”と答えたことが
夫の気に障ったのだった。
家族悪口を話したわけでもないのだけれど・・・
せっかく海辺に行ったのに、子供たちを馬にも乗せないケチな男だと思われたくなかったらしい。
そこにあの国で住むむずかしさを私は感じた。
見送りの母は無口だった。
息子を日本に連れて行ってほしくなかったから。
それは数日前に言われていたし、彼女の頭はそのことでいっぱいだったけれど、
それを口にしてはいけなかったから。
促されて、彼女が口にしたのは、
礼拝をしなさい。クルァーンを読みなさい。
それは家を出るときに言ったのと同じ言葉だった。
最後に日本で働いている末っ子の面倒を見るように言おうとしたときに、
彼の名前を口にしたとたん、彼女の声は涙でつまった。
あんなだめな義理の弟なのに彼はしっかりみんなに愛されていた。
成田の空から私は食い入るように濃い緑と田んぼの黄緑を目に焼き付けるように見入っていた。
なんて美しいのだろう。
自然の中にある国際空港を私は誇らしく感じていた。
この夏初めて聞くセミ時雨がうれしい。
あの国に住んでみて、
彼らと違って彫りの浅い自分の顔を好きになっていた。
この国では誰にも振り向いてももらえない平凡さはちょっぴりさびしいけれど、
それでも、この国に住めることはやっぱりうれしい。