例えばね、

「こういうことを言うかな~~」って疑問に思ったことがある。



夫のいとこは背が伸びない病気みたいで、

ちょっと動作がおそくって、

他の弟や妹にも背を抜かされて、

顔立ちもちょっと違う感じなんだけれど、

おとなしくて、ニコニコ微笑んでいる、女の子。


周りの人は私に教えてくれるの。


「S(夫のいいなずけ)がね、子供のころ、あの子を抱っこしていて、落っことしちゃったの。だから、あの子は背が伸びないの」


普通・・・・そういうこと言うかな・・・・


それが原因かどうかは、わからないと思うんだけれど。

言われる側のSさんの気持ちはわからないけれど、

きっと辛いと思うよ。


でも、口にする人たちは普通に話すんだよね。


だから、

私がはじめてパキスタンを訪れた日に、夫の祖父が心臓発作で倒れたこと、

そして、

二度目に私が訪れた日に、その祖父が交通事故にあって、

私たちが帰った日に亡くなってしまったこと・・・・・誰も気がついていませんように。




兄嫁と家族の間で些細なことをきっかけとして大喧嘩に発展したことがある。

日本にいる私の耳に届いた、彼女の罵声は、夫の父と母に向けられていた。

『・・・・だから、あなたたちの子供は、指がなかったり、からだの悪い子供が子供が産まれるのよ!』


どんなバトルが私と家族に起きたとしても、こういう言葉は絶対私の口からは飛び出さないと思う。


そういう夫たちは兄嫁に対して、

『あんな貧しい家からこんなに良い家にお嫁にこられて、彼女は感謝もしていない。牛乳も買えないような貧乏な家だったんだよ』


・・・・・・こういう態度だったら・・・・もめるよね・・・・・・・・




日本での車中で、

妹が言う。「3人の子供たちはお兄さんに似ているのね。下の子2人はバビ(私のこと)に似ているのね」


その3分後に再び妹が言う。

「上の子3人は可愛いけれど、下の子2人ははたいしたことないわね」


もちろん、夫も私も同じ車中なんだけれど・・・・


普通言うかしら?だってつながるものね、この二つの文章。







末っ子を出産して5日目に自宅へ戻った。

おじさんが2人同居していた時だった。

私がいない間は料理のできない夫のためにおじさんたちがカレーを作っていてくれた。

私は助産婦さんの母乳育児指導を受けているため、完全に自然食でなければいけなかった。

私はみんな用の食事と自分用の食事作りにおわれていた。

そして、その5日後に到着した、義母と妹と弟の三人。

義母はいつも身体中が痛くて、

妹は体が弱いから、長時間立っていることもできず、

弟はいつかの事故で怪我をしたひざの手術を終えたばかりで松葉杖をついていた。

二階に上がることができるのは、私だけだった。

洗濯物を干すのは私の仕事だったし、

たまに妹が食事を作ってくれたのも、お皿を洗ってくれたのもありがたかったけれど、

明らかに私の仕事は増えていた。

しかも・・・・母乳育児だから・・・・

私は母乳をあげているところを、弟やおじさんたちに見せることはできないので、

赤ちゃんが泣く度に二階の部屋にこもって母乳をあげていた。

明らかに・・・・普段よりも確実にハードな生活を余儀なくされている私に向かって、

彼らは言った。


「パキスタンではね、産後は赤ちゃんにおっぱいをあげるだけで、あとはずっと寝ててもいいのよ。

産後21日間は。日本は大変ね・・・・」



あの~~~私には産後の肥立ちなんてなかったんですけれど!!!!





私の家族ツワモノぞろいです。