アッサラームアライクム
願いごとは、一つだけしかかなわないと思い込んでいたから、
その一つをかなえるために、
代わりに一つ自分に罰を与えるというような願い方をしていました。
言い換えれば「夫が元気になるのなら、私の命はどうなってもいい」というような願い方です。
子供の頃「一つだけ買ってあげる」と言われ育てられたのかもしれません。
私もそう言って子供を育てています。
もちろん経済的な理由がメインなのだけれど、
多くを望むのは、贅沢でずうずうしく思えるし、
一つを得るために一つを犠牲にする方が、
願いが叶いやすいと心のどこかで思っているのかもしれません。
けれどこれからは、たくさんたくさん、ドゥアー((願いごと)をしようと思っています。
交換条件なしに。
だって、私自身何も持っていないことに気がついたのですから。
自分のものでもないものを、さも自分のもののように交換条件につかうなんて、
それこそ高慢だと思うようになったからです。
謙虚でありたいと思いながら、尊大な態度をとっていたのかもしれません。
以上は一年前に病気が発覚して入院中の夫を見舞いに行く時の電車の中で浮かんだ言葉です。
病気の恐ろしさをよく理解していないのか、
あるいは心配をかけまいと明るく振る舞っていたかもしれない夫を、
私なりに守ってあげたいと願っていた頃の言葉です。