まあるくなったわたしがいる。
産まれたばかりの赤ちゃんを見に行った。
奥さんは日本人。ご主人はパキスタン人。
そのご主人のお兄さんにも、日本人の奥さんがいる。
彼らとはじめてあったのは、
夫の新しい友人として、
我が家に招待をしたあの日。
彼女たちは物静かな女性たちで、
私が口をひらくまで、
彼女たちの小さなおしゃべりは、
対面キッチンの私のところまでは届かない。
1人は1度もパキスタンを訪れたことがなく、
もう1人の滞在は一回きりで、しかも2週間だった。
そして、もうすぐ移住をすると教えてくれた。
移住を決意された彼女たちに、
私が面と向かって言えることは、
カラチに住まわれてメルマガを配信していた彼女のそれを読むことと、
”いろいろなことがあるかもしれないけれど、大変な思いをすることがあったときには、それはあなたのせいではないから・・・がんばりすぎないでね”
それだけだった。
私から見たらとてもたよりない純朴な彼女たちが言った。
”アイシャさんならどこの国に行っても住めますよね”
”だからね・・・”と笑いながら、私は打ち解けた。
”こんな私でも住めなかったのよ”と言葉を続ける。
そして、彼女たちの言葉から、自分の年季を感じた。
そして、彼女たちから、感じる、新しい風は、心地よいものだった。
夫と行ったスーパーの脇で、
トラックの荷台に積まれている泥のついた長ネギは
青いところが白いところよりも多かった。
一束100円のねぎは数えてみたら7本も入ってる。
イスラム教だから子供たちは給食を食べられない日が多い。
だから、この長ネギは私にとっては重宝だが、
彼らにとっては恐怖のねぎ弁当の始まりをつげるものでもあった。
皆さまにとって心安らげる日になりますように・・・アーミーン