今日は朝から忙しい。


彼女が我が家にやって来た。


視力を失った彼女。


月曜日からの入院に備えて、


息子の面倒をみる人が、日本にはいなから、ご主人は彼をパキスタンに連れて行った。


入院の日の月曜日には帰国する。


彼女に付き添うために。


慣れない我が家での彼女の日常を思うと、かわいそうだけれど、そんなこととるに足らないことだよね。


彼女の病は・・・・重いのだから。



「これをどうぞ(取ってください)」と差し出しながら、


「これをちょうだい」とウルドゥーで言ってしまう私。


だから、彼女も笑ってくれる。


しばらくは1人息子ともお別れなのに。




彼女の隣りで、スパゲッティーを一緒に食べる私。


彼女のお皿からこぼれて、


彼女の服にケチャップ色のシミをつけてしまったパスタを見て、


気がついた。


食べにくいんだ。


もう遅いんだけれど、ティッシュをしいてあげればいいことが、わかったよ。


彼女のこぼれたパスタを、彼女に気がつかれないように、すくいとって、


私は自分のパスタを目をつぶって食べた。


おいしさが半減する気がしたよ・・・。


彼女はこれからの入院生活を食べたことのない日本食を食べて過ごすことになる。


それだってきっと思し召し。


ブログのメンテナンスの間は彼女のそばに座りながら、ビーズを編む予定の私に、あったちょっとした罪悪感。


だって、彼女にはない視力を存分に使うのだから。


色を楽しむ、形を楽しむ、目を使えることの幸せに気がついた。


それだって、きっと思し召し。


彼女を少しの間留守番させて、買い物に出た私の目をひいたのは、スーパーの片隅の鉢植えの花。


見える目を楽しませたいという思い。


それもきっと思し召し。



たとえ、どんな困難があったとしても、


どこかにあるはずの思し召し。


そこから何かを見つけられたら、


何かに気がつけたのなら、


神様からの思し召しになるんじゃないのかな?



だから、わたしがドジなのも


きっと


アッラーからの思し召し。