学生時代、

自分の才能のなさに、

いつも

ヘキヘキしていた、

背は低い、身体はかたい、

極度の緊張癖。


できることは、

誰よりも、

全ての時間を表現のトレーニングに

捧げようと、

恋もしない、デートもしない。

大学では、

できるだけ実践的な授業を履修する。

120単位ぐらいで卒業できるところを

158単位をとって卒業した。


スタニスラフスキーの書籍

「芸術における我が生涯」に

感化されて、

芸術に捧げる我が生涯

なのだと、

青臭く自分に言い聞かせていた。

授業が終わってから、

スタジオ一番街、 

ダンスレッスンへ

不安で不安で、

しょうがなかった。

だから、

兎に角全ての時間を使おうと、

とにかく時間を使う、

効率の悪いレッスンを

していた。


今は、

théâtre Paris Kidori を

維持することで、

頭がいっぱいだ。


théâtre Paris Kidori より

後にできたお店の閉店を

耳にする度に

心がざわつき、


théâtre Paris Kidori より

歴史のあるお店の閉店も

耳にする。


とにかく、

théâtre Paris Kidori に

全力投球しなけば、

と店舗が休みでも、

ずっと店舗にいて、

何か仕事をしている。




11月気付けば、

もう10日、

個人事業主に休みはない。


学生時代と同じだ、

何か効率が悪いのだろう。


思いたって、

事務仕事や片付けをして、

数週間ぶりに、

外へ。


人がつくってくれる、

ジンソーダは、


ナンダカイヤサレル。












ワタクシの年齢のせいもあるが、

同世代から

御身内の逝去を耳にする。


1週間の間に

義親と母上を亡くされたそうだ。

もうお葬式のことは、

何でも聞いてって感じと。


その方は、

ミュージシャン。


その方曰く

歌手の人は、

大変だね、言葉に反応して、

感情がコントロールできなくならない?

と、


ワタクシ曰く、


歌によって癒されるというか、

その言葉を口にして

もちろん、反応してしまうことはあるけれど、

言葉を発することで、

昇華できることがあります、、、。


俳優が泣く演技をするとき、

特に映像では、

その発する言葉で

泣かなければならない。

感情が湧き出るのを待つ時間はないのだ。

若いときから

そういうトレーニングをしていると、


本当に悲しくて泣いてる瞬間、

この感じを記憶しなくてはという、

声が聞こえてくる。

もはや、何が演技で、本当から

わからなくなる。

だから、

日常、俳優の涙には懐疑的だ。


若い子に

ガールフレンドは女優はやめとけと言う笑。



そうそう、

そのミュージシャンの方、


カラオケ行こうかなぁ、、、、と。


キットワルクナイ。




大学の1年生の

授業で、

ミュージカルトレーニングという科目を

もっている。


唱って、踊って、語る

時間だ。


今年度は、

ウエストサイドストーリーを

扱っている。


劇団四季時代、

出演はしていないが、

勉強キャストに、

稽古場に入れていただいていた。


勤務している大学では、

2年からコースに別れる。

声優、演劇(ストーレートプレイ).、

ミュージカル

と別れる。


この授業では、

ミュージカルに携わるのが、

最後になる学生もいる事を

意識している。


だから、

キャラクターに合うかどうかより、

やる気や努力で

場面によって、

キャスティングをする。


また、

授業を通して、

ミュージカル公演において、

自分がどのタイプの俳優を

目指すのか、

見つけて欲しい気持ちだ。


Actor

Singer

Dancer

Singer dancer

Dancer singer

Triple Threats (歌踊り芝居良し)


ダンス経験のない俳優が

レッスンで見違えていくのを

観てきた。


クラス全員それぞれに

課題を思い浮かべている。


あくまでも授業であるので、

ウエストサイドストーリー全曲を

とりあげることは

時間的に不可能だし、

それぞれが

学べる何かがあるものを

考えぬいて

教材にしていが、


前回、数人の学生がやりたいナンバーが

あるからと、

見てくれと、


やる気はカウが、

すでに教材は決めている、


授業終了後に見たが、

あまりにおそまつだし、

何故、そのナンバーをやりたいのか、

わからない。


今もっているもので、

そのナンバーをやっても、

学習にはならない、

あくまで、技術向上の為の授業だ。

やりたいことをやる時間ではない。


本気で向かいあい、

ポテンシャルなどを、

カッていた学生たちだけに、


学ぶということを

何も分かってもらえてないんだと、


そのつま先、膝裏をのばし、

姿勢をなおし、声のナガレの圧力を矯正し、

台詞のレンジを広くするなど。

治すことがいっぱいあるし、

ひとり、ひとり注視している。

プロになる為のそれぞれの

最優先事項を与えているのに、

得意なことより、

不得意なことに向き合う時期だ。


ガッカリゼッボウデアル。