私の母は、1歳の時に亡くなくなりました。

午前中具合が悪くなって、

午後には、亡くなったそうです。

1歳の私は、這いまわりながら、

母をずっと探していて、

それを見て親戚たちは、

泣いていたそうです。


大昔の話です。


大正生まれの父親は、

1歳と4歳の姉の世話は、

できないので、お見合いで、

3回だけ会って、義母と結婚したそうです。

義母は、行き遅れていて、

仕方なく結婚したようです。


私は、幼かったので、

本当の母と信じていましたが、

小学校のとき、

夢の中で、

義母が本当のお母さんじゃないと告げ、

後から、本当のお母さんは私よと

後から浮かんだひとは、

やはり義母の姿で、

へんな夢を見たのを覚えています。


親戚が口を滑らせて、

確信にかわり、

家族から告げられたときのことは、

何も覚えていません。


小学校の時、

義母は、何度も私を

平手打ちしました。

思春期には、

風呂に入っているとき、

何度も何か理由をつけ

引き戸をあけるので、

裸を見られたくない私は、

必死に引き戸を押さえているのに、

こじ開けようとするので、

風呂に入るのが怖い時期がありました。


小学校のとき、

先生が家でぶたれる人いますか?

との質問に私ともうひとりだけ

手をあげて、

普通じゃないことを知りました。

先生がお母さんに言おうか?

と言ったので、


義母なのに、

育ててもらっている、

後ろめたさとの狭間で、


絶対に言わないでくださいと

懇願してのを覚えています。


産んでくれた母の写真を

見たのは、成人してからです。


義母を介護からホスピスにいれて、

看取りました。


父親が亡くなったとき、

書類を見せられず、

ここに実印を押せと言われました。

その時も義母なのに、

育ててもらっている、

後ろめたさに押しました。


義母が亡くなってから、

財産放棄の書類と知りました。


たまに、義母が夢で、

まだ、いじわるをしますが、


今は、自由です。


母親の真実の愛を受けられなかった自分は、

まだ、いつも真実の愛を探しているように

思います。


それは、

友人関係でも、仕事関係でも。


相手は気にしていなくても、

人が去っていくことには、

いつも、抉られるような気持ちになります。


また、

事前に、こういうことは、

やめてねと言っていたことを

されるとやはり、

抉られるような気持ちになります。


もうちょっと気にしない性格だと

良かったなといつも思います。


たぶん、

幼いころからの義母の影響だと、

自分で分析しています。


店を初めて、

事前に、こういうことは、

やめてねと言っていたことを

結構されてきました。


私に問題があるのでしょう。


ただ、ただ悲しいです。


最近、

ライブハウスを、

とりわけ、シャンソニエを

やってる意味がわからなくなりました。


でも、

結局、自分を救ってくれるのは、

音楽だけなので、

今日も店を開けます。