ずっと悩んでいる。


先日、

ある歌手の方が、

ピアニストとお客様の前で、

軽い政治的な話題を話された。


オレは、

今は、良いですけど、

店内では、控えて下さいと

お話した。


歌手の方のお客様しかいなかったので、

何が悪いと、

歌手の方は、ムッとしたかもしれない。




昔から、

酒場では、

政治、宗教のお話は、

御法度という、

コモンセンスがあると思っていた。


それは、もう昔のことで、

新しい出演者を迎える度に、

お願いしなくてはいけない、

時代なのかもしれない。


しかし、

激論を戦わせる店もあるだろう。

それは、

店主の方針によるのではないだろうか?


先日、

その歌手の方が、

時候のご挨拶に伴って、

ある政治的な話題の行く末が、

どうなっていくのでしょうか?

とご挨拶された。


多分、無意識である。

無意識と信じたい。


正直、傷ついた。


théâtre Paris Kidori には、

舞台と幕がある、

それは、théâtre をウタッているからだ。


元来、

歌や舞踊は、神に、 

ときには、自然に、

人間の手の届かないもに、

捧げたものが原点である。


神事であった。


シャンソンは、

軽音楽ではあるが、

クラシックからロック、

さまざまなジャンルを

ラインナップし、

訳詞文化と伴って、

芸術である。


楽曲には、

平和を語るもの、

反戦を語るもの、

社会を憂うものなど、

政治や宗教にまつわる楽曲も、

沢山ある。


それは、

楽曲であって、作品である。

必ずしも、カタリベが、

その思想と一致しているわけではない。


不倫してなくても、不倫の歌唱うしね。


その方の考え方を

表明したいならば、

別なところ、

例えば、SNSなどで、

主張すれば良い。


théâtre Paris Kidori の舞台は、

演壇ではない。


théâtre Paris Kidor は、

残念ながら、

人々が押し寄せてる場所ではない。


いろいろな考え方をもった方々に

愛していただけなければ、

ツブレるのだ。


オレが

シンケイシツナンダロウカ?