4月になって、
いつもだが、
春になると、
ちょいセンチな気持ちになる。
寒いのが大の苦手で
やっと暖かくなったのにだ。

無我夢中でParis Kidoriを運営し
いろいろな問題も
しょっぱなから多数
ひとつ、ひとつ試練を乗り越えて
2回目の春である。

先日、業界の大先輩と電話で
お話しして、
日常らシャンソンに触れていられるシアワセを
おっしゃっていた。
いろいろあるが、自分もそうである。

その上、
あんなに、恋して、恋して、
やまなかったミュージカルを
大学で教えたり、
Paris Kidoriに出演している若手たちを通じて
接していられる。
シアワセである。

んでも春は、虚しい。
いっそ孤独だ。
父母が亡くなってから、
まだ、ひきづっているのかもしれない。
母が亡くなってから、
いじらなかった庭は、荒れ放題。
やっと、ひとりで、
木を刈り、草むしりをし、
老人の家にありがちな、
たくさんの植木鉢を集め、
庭の隅につみあげられた、肥料や園芸道具を
整理した。
無味乾燥な庭になったが、
すっきりした。
だが、刈った草やきは、
大量に積み上げられている。
それを眺めながら、
虚しさで胸が締め付けられる。
愛されない人生は、虚無である。
仕方がない
だから、歌うのかもしれない。
シアワセダが、フコウな感じもする。
春である。
{9CDEDC92-A7F8-4945-A6F2-F5DDBE224B04}