香港留学時代、学校とは別に、歌を教えてくれた先生がいた。
彼女は、僕からお金をとらなかった。
たくさん、英語の歌を教えてくれた。
スタンダードなPOPS,  夜、クラブで唱えるようにと。
もちろん、広東語やマンダリンの歌も。

彼女は60年代、香港で活躍していたそうだ。
今は、あまりみかけないが、ファミリーバンドだったとか。
北京で生まれた、フィリピン人だ。
世界中を、幼い頃からまわり、学校には行ってないそうだ。
何カ国語も話す。

 偶然、You Tube で、彼女が日本語で唱う映像を見つけた。
びっくりした。僕の前で、日本語をつかったこがなかったし、日本語でうたったことがあるなんて、ひとこもいわなかった。

60年代の日本、六本木のムゲンで唱ったことがあるそうだ。

上海で、出会った年配の香港人に聞いた。
60年代、若者のセックスシンボルだったそうだ。

何より、彼女は敬虔なクリスチャンで、ジンカクシャだ。
彼女の歌声をきくと、ちゃんと生きなきゃとオモウ。

この画像写りは、やぼったいけど、ホントきれいなひと。

数年前、家族で日本にきたとき、僕が夜、たまに唱ってるよっと言ったら、
とても喜んだ。

小さな夢だけど、いつか、香港で、5年ごとひらかれている、ジャパンフェスティバルで、アートセンターのちっちゃな小屋で、日本のシャンソンという特異な分野を紹介がてら、彼女の前で唱いたい。