発達障害 親の会の友人がシェアしていた


本田秀夫先生 (信州大学医学部子どものこころの発達医学教室教授)の記事を読みました


https://woman.mynavi.jp/kosodate/articles/34336


本田先生は

よくfacebookで友人がシェアしていたり

講演会のシェアもしているのを目にするけれど


もう息子も大人になったこともあり

一度もお話を聴きに行ったことはないんですが


たまたまこの記事を読んで

息子が小さかった頃のことを思い出しました



本田先生は 

我が子に ちょっとでも発達の遅れを感じたら

検査してもらうことにメリットしか感じない


と仰ってます



例えば

お箸は右手で使うのが「普通」だから

どんなに教えても右手でうまくお箸が使えない

→調べたら「左利き」なのが判明

→それなら左利きの使い方を教える


そうすることによって

本人も周囲も左利きなのを認められて

その上で適切な支援をすれば

本人も周囲も楽になる 安心する


みたいな内容ですが


息子と私が当時 その道を通った時

私は ある意味 楽になったし

覚悟もついたけど


私の親世代にしたら

あっさり受け入れ難かったようで


あの子は自分の努力で

ケンちゃんを何とかしようとしていない

養護学校に転校して自分が楽をしようとしている


という声が耳に入ってきました



十年一昔 となると30年前なので

そういった考え方は珍しくなかったかもしれないし

実際 軽度の発達障害のお子さんのご家族が


絶対 普通クラス以外には行かせない

障害を認めない


という考えを持っていて

同じ小学校にいたのを知っていました



人の数だけ真実があるし

どれが正解なのかは長い目で見ないと分からないですが


夫婦で障害を認め 

進路を決めた時の勇気と覚悟と

一番応援して欲しい存在に

両手をあげて理解されない孤独感


仕方がないことだと分かってはいたし

障害があっても変わらず可愛がってくれたのは感謝してるけど


当時 私の中で

ものすごい孤独感と葛藤があったのを

あらゆる大変さの中に 置き去りにしてきたなぁ

と思い出しました


たまたま私は息子のおかげで

いろんな障害を持つ人たちと出会ってきましたが


そういう機会がなければ

「あの人 なんか空気読めなくて変な人でキライ!」

と思ってしまうことも


「あの人 ちょっと支援が必要な人かもしれないな…」


と感じるし


「普通とは違う子・違う大人」への

あらゆるハードルが低くなれば

適切な支援も広がり

よりオープンになることで お互い理解し合えて

30年 40年前より ずっと違う世界になっていくような気がしました




きっとこれから

もっと どんどん変わっていくはずだよねクローバー