シルバーウィーク中のこと。
知人の訃報があり、主人と共にお別れに行ってまいりました。
初めての出会いは私たちの結婚式で、当時は義母の秘書や事務をされていました。
後に引退されましたが、32年のお付き合いになります。
晩年は風景画を描くのが好きで、墨汁で西洋画のようなタッチの絵を描かれていました。
その方からプレゼントされた絵が、我が家の玄関先にあります。
享年95歳。
義母や義姉と同じ脳梗塞でした。
倒れて数日のことだったそうです。
お悔やみの挨拶をすると、息子さんは天寿だったと思うとおっしゃっていました。
主人と結婚した当初、不安いっぱいだった頃、この方には影に日向に力添えをいただいて来ました。
そのこともお別れする間際になって、ある方から聞いて知ったのですけれど。
しかしそれを表に見せず、いつも穏やかな笑みを見せて静かにたたずまれていたのを覚えています。
本当に本当にありがとうございました。
どうぞ安らかに。
その次の日、お彼岸ということもあって、主人と義父母のお墓参りに義母の生まれ育った町へ。
その日が仕事だった娘とは、もう一度次の日、行くことになりました。
両日とも晴れ空。そして少し汗ばむほどの暖かさ。
娘とはこの後に前回の記事の展覧会に行きました。
ナビに従った初めての道中、宝塚の小さな集落で、娘が気になったという小さな土地の氏神様かな? という神社に寄り道。
道からちょっとそれる所なんですが、お祀りしている神様の名前もよく分からない、無人のお社です。
後で主人に聞いたら、親戚のひとりがこの集落の出身であるということくらい。
娘がなぜ気になったのかは分からずじまいでしたが、宝塚の歴史を調べてみたらこの辺りも幕末の頃は尼崎藩の領地だったそう。
その当時は意外と広かった領地だったんですね。
その頃の藩主は徳川の流れの譜代大名松平家。しかしどういういきさつか、徳川との決別のために松平姓を変え、桜井と名乗ったとか。
そして討幕派についたという。
最後の藩主は桜井忠興という人だったそうです。
明治になってしばらくは尼崎県とされ忠興さんが県令を務めていましたが、廃藩置県を機に兵庫県に組み込まれたということでした。
ちょっとした寄り道から嫁ぎ先の地元の歴史に興味がわいてきました。
歴女としては、色々調べてみたくなってます。悪い癖が出始めてます。
これが作品に活かせたらいいんですけれどね。


