こんばんは。今日は私、あやにゃんです。
ウバの語りをお楽しみにしていた方はごめんなさい。
先ほど、主人の叔父の葬儀から帰ってきました。
丹波の山里、緑とさわやかな風を感じながらのお見送りです。
叔父は10代の頃、召集され、戦地へ。その後シベリアに抑留された体験を、現地の地方紙が取材に来て、記事になったそうで、それが8月の22日のことでした。
その記事が、告別式会場に飾られていて、拝読したのですが。
もっと詳しいお話をお元気なうちに聞いておきたかったという内容で、それが残念だったです。
いつも笑顔が絶えなくて、自分のことはさておき、人のために動く人でした。
青年時代の苦労話はあまりしなかった人でしたが、最近になって、自分の体験が何かの役に立てばと、私たちにも少しずつ話してくれるようになったばかりでした。
学校などに呼ばれて体験を語ったりもしたそうで、シベリアで亡くなった仲間たちのためにと、オブジェを造ったという話が新聞に書かれていました。
その記事の最後の方にこうありました。
叔父には4人の兄がいて(そのうちの2番目の兄が主人の父です)、叔父を含め、5人ともが戦地へ。うち一人が戦死。
息子を5人ともに戦地へ送り出さなければならなかった親の気持ちはいかばかりか。
そんな時代だったから、お国のために自分の身を呈することは、当たり前のようにできたけれど、戦争がなければ、5人とも普通の平和な暮らし、穏やかな生き方ができたかもしれない。
「戦争で辛い思いをするのはいつも国民です。戦争はいかん」
叔父は3年前にある病気を宣告されました。
けれど、治療はしないと、そういったそうです。
シベリアで、過酷な労働の中、死んでいった仲間達の分、長く生かせてもらった。
これが天から与えられた寿命ならば、受け入れたいと。
なので、手術や治療は一切せず、だったそう。
この夏お会いした時も、少し足が弱ったというくらいで、いつものように一緒に食事しながらお話をしたくらいです。
子ども、孫や曾孫に囲まれて本当に幸せそうにいつも笑っていたその顔のままで、旅立っていかれました。
その人柄を表わすように、お寺さんが「自分が体験したなかで一番」と言われるほどの人達が駆け付けてくださいました。
私達がマイクロバスに乗り込んで斎場から帰る頃雷と共に雨が降り出しました。
バスの中にいる間だけの降りでしたが、帰り着く直前、少し雲が切れ、光が差し込んで、大きな虹がかかりました。残念ながらカメラを持っていなかったから、写せなかったのですが。
あ、叔父さん、虹を渡ったんだ……。
そう思いました。
いつかはどういう形かで、お別れはやってきます。
今そばにいる誰かを大切に、心をかけていきたいものです。
そして自分自身これからどう生きるのか、改めて考えた一日でした。
明日は数カ月ぶりに出会う人たちがいます。
実家の母の友人達。
皆それぞれに色んな物を抱えながらも明るく前向いて生きている人達です。
残念ながら母は、行けないということで、私だけでお出会いしてくることになりましたが、その中のお1人が私の前の腎臓内科の主治医の転勤先の病院にお世話になっていて、その先生の消息が分かったという、不思議なご縁のある方です。
皆さんに会う前に少し時間があるので、相棒の龍未晶惺さんにも会ってきます。
この前出した本の続きの所、原稿整理中の物を届けて、次に備えることになってます。
今できることをやっておきたい。
自分が虹の橋を渡る時は、やり遂げたという気持ちでいたい。
そう思ってます。