私の中の影ー① 「隠され続けた怒り」 | ~Fortune Creation〜運命を創造する〜 あなたという存在の深みへの旅 生き方が変わるタロットという哲学〜

~Fortune Creation〜運命を創造する〜 あなたという存在の深みへの旅 生き方が変わるタロットという哲学〜

意識のしくみ、人間と宇宙との関係、自然の法則、現実とリアル「わたし」という存在を紐解くタロットの哲学。
人類の軌跡とその智慧の結晶DNAに眠るそれらの大いなる秘密を紐解き、運命を創造する力を取り戻す〜

 

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東京でAyasofyaを立ち上げたのは2010年。

 

離婚、シングルマザー、社会復帰、ヒーラー、セラピストとしての学び、サロン立ち上げ、、、

 

2009年から2010にかけての一年は本当に劇的な変化の波に飲まれていた。

 

今振り返ると

その一年はタロットで読み解くと

Moon(月)からSun(太陽)へと流れて行くサイクルで

 

「隠れていたものが表出する」

「影に光が差す」

「意識の深いところからの癒し、再生が起こる」

 

タイミングだったようだ。

 

この40歳から41歳での「無意識層の拡大」はとても意味深く、

ここで拡大した領域は

オセロが返るようにそのまま「目覚め」の領域となる。

 

この体験は、闇を通り抜けて行くような

心もとない不安感と

産みの苦しみのような体感をもったプロセスとなることも少なく無い。

 

 

2018年、今年は「太陽と月」の講座を全国で行わせて頂き、

また、

この講座の根底にあるテーマ、

「男性性と女性性の戦いを終わらせる」という場の中で

各地で多くの方々のプロセスに立ち会わせて頂いた今も尚、

今後大きく取り扱っていきたいテーマであることを

改めて実感している。

 

 

それほどに重要なテーマで

新しい時代の鍵と私は捉えている。

 

 

さてさて

 

今日は自身の懐かしいBlogに行き着いた。

 

この2010年に書いた記事で

私の中で「男性性に対する怒り」を深く実感し、

それを超えたプロセスだ。

 

 

 

こうして講座に講師として立ち、

 

ともすると「和泉さんはもともとこんな人」と思われがちなところがあるが

 

私が学んできたこと、体験してきたこと、

そして今提供していることはすべて、

 

幼少から自分とう存在を持て余し、

ともするといつ「死」への橋を渡りかねなかった自分を

 

どうしたら「生かせられるのか」

 

この一点の問いの中で

暗中を模索して得たものばかりである。

 

 

学び、実践し、体験を通じて

何度も「闇」を通り抜け、

そうして私は「今の私」を創っていった。

 

 

この記事がまた

 

今の誰かの気付きになればと思い、

改めてシェアさせて頂く。

 

 

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2010年

この一年に向き合った私の中の影の存在がある。

 

 

無意識層に存在する、

気付かなかった深い深いところにある「怒り」や「自己憐憫」

 

そして、「悲しみ」。

 

 

幼少期体験した理性的に処理出来ない体験が

インナーチャイルドの中に押し込められるものと認識していたけれど、

 

大人になっても

強烈に自身を押さえ込むような体験は

同じように

自らの内にある闇のパンドラの箱に

押し込めて蓋されることもあると知った。

 

 

私は5年前、下の娘が生まれて1ヶ月で離婚した。

 

それは突然の離婚宣告だった。

 

娘はまだ首も座り切らない、5kgにも満たない赤子で

 

 

まだ出産の痛みや子宮も元に戻り切らない私は

産まれたばかりの彼女を抱きかかえながら

放心とした約一ヶ月間を過ごした。

 

上の子がようやく3歳になり、

落ち着いた頃に妊娠。

 

多動であった息子の育児に追われ、

すっかり社会とは断絶されたような日常の中での出産。

 

私の日常は朝から晩まで「幼い子供と向き合うだけ」の

まったく社会への生産性も繋がりも無い状態の時に

やって来た突然のことだった。

 

 

 

「離婚」

 

 

 

いきなり人生に立ちはだかるそれに、

 

0歳児と三歳児の子供と共に

これからどのように生きて行って良いのか分からない真っ暗な世界に

いきなり3人で放り出されたようだった。

 

 

自分のアイデンティティや信念体系は完全に崩壊され、

 

朝、目覚めると同時に襲われる絶望感。

 

今日も生きている、、、と、

 

無表情のままに何もしなくとも涙が頬を伝ってくる…

 

そんな日々だった。

 

 

 

同じタイミングで私と前夫の仲を取り持ってくれていた優しい義母は

末期の癌であることが分かり、

 

 

 

家族皆が悲しみに包まれているその日々の中で、

夫婦の仲を繋ぐ糸が突然に儚く切れてしまったのである。

 

 

前の主人も

価値観の違いに内なる葛藤を繰り返して

行き着いた答えだったのだと思う。

 

 

しかし、今思い出してもそれは、

一言では言い尽くせないほどに、

私にとっては辛い日々だった。

 

 

食事も喉を通らないような日々の中で

ただただ数時間ごとの授乳をするのがやっとで、

 

 

 

かろうじて私が出来ることは

涙を流しながらも0歳児の娘におっぱいをあげることだけだった。

 

 

 

 

食事もろくに出来ず、母乳も微々たる量しか出なかっただろう、

それでも、産まれたばかりの娘はいつもいつもニコニコと笑って

私を心から癒そうとしてくれた。

 

 

彼女には、

一生分の親孝行をこの数ヶ月の間にしてもらった想いが私にはある。

 

 

 

 

ただ生きていた。

 

 

 

 

彼女の笑顔を見る時にだけ、私に人間らしい表情が戻った。

 

多動症であると診断された息子も闇に投げ出されていた。

 

母である私の不安定さを彼は感じ取っていたのかもしれない。

 

そして自身の中の想いを上手く外に出せなかったのだろう

 

 

チック症が激しく出て、

当時の彼の写真をみると、眉毛が自身の手で抜かれていて痛々しい。

 

 

友人達は、前の主人のことをかなりきつい言葉で中傷して

私を庇ってくれた。

 

 

 

私達のそんな姿を見ていたのだから無理も無い。

 

 

しかし、

私はむしろそんな彼女たちに彼を庇い続けた。

 

 

それは、自分が妻としていたらなかった罪悪感もあっただろう。

 

 

 

しかし、

最も私の心を大きく埋めていたのは、

子供達のことだった。

 

 

【「捨てられた」と思うような人生を絶対に歩ませてはならない】

 

 

産まれてすぐに離婚したという事実を

娘がいつか知ったとき、どれほどに傷つくだろうと

 

「自分は望まれて産まれて来たのだろうか?」と問うような、

 

「そんな道は絶対に歩ませない」

 

私はそれだけを固く心に誓っていた。

 

 

だからこそ、

私は「あなた達は愛されて産まれて来たんだよ」

  「今もお父さんに愛されているよ」

  「お父さんは今もあなた達のためにがんばってくれているよ」

という想い、言葉を

 

彼らに与え続けた。

 

 

内なるさまざまな彼への想いや感情を

すべて封印したのだった。

 

だから、友人達の中傷も受け入れなかった。

 

 

 

しかし本当は

自身が見捨てられたという想いに

囚われる事が怖かったのかもしれない。

 

 

産まれてすぐ

片親しかいなくなってしまった娘のそばで

私だけでも出来るだけ一緒に過ごしてやりたい。

 

 

その祈るような想いを聞いてもらうことを条件に

3年間はパートなどをしなくても生活出来るように条件を出し、

離婚は成立した。

 

 

 

私は3年間は仕事をせず、彼らに寄り添った。

その3年間の時間を与えてもらったことに

私は前夫に深く感謝していた。

 

 

 

そして、

3年後、きっかけは息子の多動症の改善の為にと

運命的にフラワーエッセンスに出逢い、

それを学ぶことに没頭し、

4年目には独立への道を

少しづつ歩み始めたのだった。

 

 

子供達が幼稚園に通うようになり、

落ち着いた頃、私自身もAyasofyaを立ち上げた。

 

ゆっくりとではあったけれど

セッションを受けに来て下さる方々が増えていった。

 

そんな流れも一年が過ぎ、ようやく基盤が整った。

 

 

よく頑張ってきた。

 

 

3年程の長い時間に想いを馳せることも時折あった。

 

 

一人ですべてを背負って来た私は

昨年、今のパートナーとなる彼に出逢うことが出来た。

 

いろんな意味で

次の段階に行く準備が出来ていたのだろうと思う。

 

 

 

そして、

さぁ、これから!とアクセルを更に踏もうとしたこの春、

前の主人からいきなり、

「養育費が払えない」と連絡が入った。

 

 

私は養育費を頂くことも当たり前と思っちゃいけない、、、と、

それまでも毎月、前夫にお礼のメールを絶やさないようにして来ていた。

 

 

それは私からの一方的なもので、

何度か送金が滞った時も彼から連絡がある訳ではなかった。

 

 

言葉に気を使いながら送金をお願いしても

「当たり前と思うな」「感謝が足りない」と言われ、

 

傷つけられる言葉をたくさん投げられてきた。

 

その度に自身の中に不安と悲しみと怒りが入り交じったような

沸々とした感情を薄々感じていた。

 

中傷的な言葉が羅列されたメールを読んですぐ、

自身に沸き上がる感情を押し込めるかのように、

まるで何事も起こっていないかのように

表面上は子供達にはポシティブに彼らの父親のことを語った。

 

 

養育費は、金銭的なことだけれど、

私のどこかでこれは彼を救うことにもなるとも思っていた。

 

いつか、どこかで子供達に会う時に、

俺は父親としての義務を果たして来たぞと

胸張って会えるように、、、と

 

本当は会いたくても、今それに向き合う勇気の無い前夫に対して

勝手かもしれないがそう言った想いもあった。

 

 

 

しかし、それはやはり私の独りよがりだったのだろう。

 

返って来る言葉は私を落胆させるものばかりだった。

 

 

三人で放り出されたあの日々の辛さを

彼にどれだけ伝えてもきっと分かってもらえないだろう。

 

 

そう、この、

「わかってもらえないだろう」という想いが

私を捉えて離さなかった。

 

この感情、どこかでいつも私の奥深い闇の渕にあった。

 

 

私の中で少しずつ少しずつ、

 

この諦めに似た想いと、

「どうしてわかってくれないのか」という

 

沸々とした怒りに

火が点き始めたー

 

 

 

つづく、、、

 

 

 

〜 2010年12月 記載〜