【Fool Childの教え】
Fool Childは最も大切なカードだと
BASICではお伝えしています。
何故なら、
10の人格のアーキタイプのすべての根底に
「0」は有るからです。
すべての旅は子供の問い掛けで始まり
その答えを捜すという経験の中に
人生の秘密とギフトが有ります。
Oshoのこの言葉には
その教えがたくさん秘められています。
9番Harmit賢者は「完全」では無く、
10番のFortuneにて
再びFoolとなることの重要さも
10牛図をたとえに教えています。
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もしあなたがここで
自分の遊び心を
許せなかったら、
世界中どこに行っても
それはできないだろう。
遊び心を全面的に許しなさい。
それを統制から
出してやりなさい――
そしていったん、
あなたの子どもが
ほんとうに生き生きとして
あなたといっしょに
踊りはじめたら、
それはあなたの
生の香りそのものを
変えることになる。
それはあなたに
ユーモアのセンスを、
素晴らしい笑いを与える。
そして
あなたの頭でっかちを
壊してくれる。
それは、
あなたを
ハートの人間にするだろう。
頭のなかに住んでいる人間は、
まったく生きてはいない。
ハートに生きる人間だけが、
そして
頭には理解できない歌を
歌う者、
外側の状況とは
どう見てもつり合わない
ダンスを踊る者……
自分の豊かさから、
自分があふれているからこそ
踊る者だけが、
生きているのだ。
あなたには歌い、
そして
叫びたいほどのエネルギーがある……
だったら、
そうしなさい!
そうしたら、
あなたはもっと生き生きする。
それはあなたに、
生のなんたるかを味わう
機会を与える。
深刻な人間は、
死ぬ前から死んでいる。
死ぬずっと前に、
彼はほとんど死体になっている。
生はあまりにも貴重な機会だ。
深刻さの中に
それを失うべきではない。
深刻さは、
墓場用にとっておくといい。
深刻さは、
墓場の中に
倒れ込ませたらいい。
最後の審判の日を待たせて、
深刻にさせておけばいい。
だが
墓場に行く前に
死体になることはない。
孔子のことを思い出した。
孔子の弟子のひとりが、
無数の人びとが問うた
典型的な質問をした。
「死んだ後で起こることについて、
なにか言っていただけますか?」
孔子は、
「そういうことは
死んで墓場に行ってから
じっくり考えたらいい。
今はまず生きなさい!」
と言った。
生きるべきときがあり、
そして
死ぬべきときがある。
それを
ごっちゃにしてはいけない。
さもなければ
両方とも取り逃がす。
今はまず、
全身全霊で強烈に生きなさい。
そして
死ぬときが来たら、
全身全霊で死ぬといい。
半身で死んではいけない。
片目だけ死んで、
もう片目で
辺りを見つづけていたり、
片手が死んで、
もう片手で
真理を探しつづけていたり
してはいけない。
死ぬときは
全面的に死になさい……
そして
死とはなにかを
じっくり考えたらいい。
だが
今はまず、
ずっと先のことを考えて
時間を潰すのはやめなさい。
この瞬間を生きるのだ。
子どもは強烈に、
また全面的に
生きることを知っている。
そして
恐れることなく、
統制から抜け出すことを――。
ここで、
一瞬一瞬を全身全霊で、
強烈に、
喜びに満ちて、
そして
遊び心をもって生きることを、
始めなさい――
そうすれば、
なにひとつ
羽目が外れたりはしないことが
分かるだろう。
あなたの聡明さは
より研ぎすまされ、
あなたはより若くなり、
愛がより深まることが
分かるはずだ。
もし全世界が笑い、
楽しみ、遊びはじめたら、
大いなる革命が起こる。
戦争は、
深刻な人びとが
つくり出すものだ。
殺人は、
深刻な人びとが
犯すものだ。
自殺は、
深刻な人びとが
するものだ――
精神病院は、
深刻な人びとで
いっぱいになっている。
深刻さが
人間にどれほどの害を
なしたかを見てとったら、
あなたは
自分の深刻さから
飛び出すはずだ。
そしてあなたは、
あなたの中で
遊ぼうと、
歌って踊ろうと
待ちかまえている、
自分の子どもを許すだろう。
この途方もなく親しげな
宇宙のなかで、
あなたたちは
石仏のように坐っている――
私は、
石仏になることは説かない。
私は、
あなたたちに
踊るブッダになってほしい。
仏陀に従う者たちには
気に入らないだろうが、
しかし私は、
誰がなにを考えようとかまわない。
私が気にするのは真理だけだ。
もし
真理が踊り方を知らないとしたら、
それは片輪になっている。
もし
ブッダが笑う能力をもたないとしたら
なにかが欠けている。
もし
ブッダが子どもたちの仲間になって
いっしょに遊べないとしたら、
その人は
ブッダフッドの近くには来ていても、
まだ全面的に覚醒してはいない。
なにかが眠っている。
日本には9枚つづきの絵があって、
その絵には
途方もなく深い意味がある。
1枚目の絵のなかで、
ひとりの男が自分の牛を見失う。
彼は、あたりを探し回っている――
そこは木立に囲まれた深い森だ……
だが牛は影も形もない。
2枚目で彼は牛の足跡を見つける。
3枚目では牛はどうやら
木の蔭に姿を隠しているらしい。
牛の尻の部分だけが見えている。
4枚目で、
彼はほとんど牛に
手が届きそうになる。
そして牛は
全身をあらわしている。
5枚目で、
彼は牛の角を捕らえる。
6枚目で、
彼は牛と格闘する。
7枚目で、
彼は牛を征服する。
彼は牛の背に坐っている。
8枚目では、
彼らは家に向かっている。
9枚目では、
牛は牛舎に入り、
男は笛を吹いている。
これらの9枚の絵は
1枚を欠いている――
それらは
中国から来たものだ。
が中国のものには、
10枚の絵がある。
それが日本にもたらされたとき、
10枚目が捨てられた。
ひどく法外なものに
見えたからだ――
そして、
その10番目こそが
私のブッダだ。
その10枚目の絵の中では、
牛は牛舎につながれ、
そのブッダは
酒壷を持って町に出ている。
日本人のマインドは、
これではあんまりだと思った。
酒壷を持ったブッダでは、
人がどう思うだろう、と。
これは
普通の宗教的マインドにとっては
法外だが、
私に言わせれば、
全シリーズでこれこそが
もっとも重要な絵だ。
それがなければ
このシリーズは不完全だ。
ブッダフッドを達成したら、
そのとき、
人はごくあたり前の
人間になるはずだ。
酒壷を持って町に出るというのは
象徴的だ。
それが意味するところは、
つまり、
もう坐って
瞑想する必要は
ないということだ。
瞑想は
すでにハートの中にある。
今や深刻になる必要はない。
見つけたかったものは、
見つけた。
今度は、
楽しむときだ。
その酒壷は喜びの象徴だ――
今や祝祭のときだ!
そして、
町以外のどこで
祝うことができるだろう?
瞑想のためなら森のなか、
山のなかに入って行けばいいが、
祝うためには
町に出なければならない。
いつでも
この10番目の絵を
覚えていなさい。
9枚目で止まってはいけない――
9枚目は
素晴らしいものではあるが、
まだ不完全だ。
もう一歩がある……、
ただ笛を吹くだけではたりない。
酔っぱらいなさい!
そして、
狂ったように踊るがいい。
~ Osho ~
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