スピリチュアリズムを追求しようとする思考、
それ自体がエゴイズムであることにも
ある地点で必ず通る関門である。
思考しないように思考する。
欲望しないように欲望する。
難しい教義を聞くよりも、
本当の一体性への気付きのヒントは
目の前に与えられているすべてのものから与えられている。
遠くのグルに会いに行くまでもなく
目の前に現れているものすべてに
その意思は宿っている。
今、ここ、に在ること。
そこは思考もマインドの声も無く、
すべてに開かれた感覚だけ。
日常の、ほんの数パーセントしか
私たちは意識的に「今、ここ」にいない。
それはスーパーコンピューターと言われる私たちの脳の
実際に使われている範囲と同じようなものだ。
そのほんの数パーセントを
少しでも意識的にのばして行けば
私たちは飛躍的にその中で多くのメッセージ性に気付き
私たち自身が持つ、多くの可能性のドアを開けて行くことが出来るだろう。
だからこそ、
「今、ここ」に自身とともに在るものとともに存在する。
呼吸とともに、
肉体の感覚とともに
聴こえてくる音とともに
味わっているその食べ物とともに
観ているその現象とともに
触れているそのものが与えてくれる感触とともに。
心が沈黙している時
そこにあるのは永遠に繋がる「今」の感覚だけ。
深い思考の深みに落ち
過去や未来から与えられた傷を癒すことに時間を費やすのではなく
今、ここで
シンプルに「在る」ことから
ゆっくりと大きな変容の輪が回り始める。
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