そして古着を買ってみた。 | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

骨董市に足を運んだ。



これまでの私は、ユーズドのものには他人の念が入ってて怖いとか、汚れていて不潔そうとか、良いイメージがなかった。


これは、自分の基準なのだとばかり思っていたけれど。




オカメインコと戯れる

このとき、オカメインコにフンを2回も落とされる。
今年も正月から運がついたとご機嫌だったけれど。

母がいたらこんなことは許されなかったなあと、思い出してた。



私の母はものすごく潔癖だった。
家は母が亡くなって3年間、チリ1つ出て来なかった。今思えば、一体どんなふうに掃除したらそうなるのか知りたいくらい😂

古着なんてもちろん無理だし、私のお気に入りの服も、ちょっとでも汚れたら勝手にどんどん捨てられてしまっていた。




そう。

私は自分のお金で買ったお気に入りの服を、勝手に捨てられるような環境で育った。


本当はめちゃくちゃ悲しかったのに。
汚い服を平気で着るようなだらしがない自分が悪いんだと思って我慢した。


母が亡くなってからも、同じペースで服を買っていたら、あっと言う間にタンスから服があふれて、どうしてなのかと不思議に思っていたけれど、勝手に捨てられなくなったからだと気がついた。



人と一緒にいると、私も相当潔癖なのかもしれないと思うことがある。


そして、それが本当に自分の価値観なのかを知りたくて、骨董市に出掛けることにした。



お目当ては、アンティーク着物。
でも、残念ならがアンティーク着物は人気なのかほとんど見つからず、羽織をひとつだけゲット。
あとはタンス流れ品みたいな着物や帯をゲットした。

着物として着てもいいし、得意のリメイクをしてもいい。
呉服屋さんから倉庫流れみたいな反物も安くゲットした。


反物以外は、お母さんがいたら、きっと顔をしかめて捨てて来いと言うようなものを、たくさん買ってみた。



取り敢えず買い物はとても楽しかったけれど、染み付いた潔癖はそうそうなくなるものでもないので(笑)おばあちゃんの箪笥みたいな臭いがする着物たちはちょっと厳しいので、家に帰って洗濯機でグルグルと、正絹と思われるアレコレを洗う(笑)
いや、目利きできないから正絹じゃないかもしれないけど😂

もちろん、駄目になってもリメイクすればいいから怖くない(*´ω`*)



そういえば、着物の山の中に、七五三用の女の子の着物があった。
用途的に1度しか着てないであろう、新品同様の綺麗なアンサンブルだったので、リメイクに使えるかなと思って手に取った。
古着を手に取ると、その着物がどんな感情とともに着られていたのかが伝わってくることがあった。
七五三用のアンサンブルからは、それはもう晴れがましい楽しい家族の笑顔が伝わってきて、それをリメイクするなんて思い出の冒涜になってしまうと、着物の山の上にアンサンブルを戻した。


また、とある着物からは水商売の人たちが着ていたと思われる感情がぼんやり伝わってきてすぐにその場を離れたり。


触れるとだいたい、どんな着物なのかがわかったので、心配していたような念を貰うこともなく、タンスの肥やしになっていて断捨離ブームで放出されたものをゲットできたようだった。



とにかく。

初めての古着体験は、私にとって自分を縛り付けるものから自由になるためのはじめの一歩だった。


洗って臭いが取れたなら(笑)
これを着て出掛けてみよう。

その時に自分がまたどう思うのか。

ひとつひとつ、
親離れを積み重ねる。