2年と3ヶ月、一緒に暮らしていたキンクマハムスターのちょびのすけ。
とっても元気でやんちゃだったこの子が、天寿を全うして息を引き取りました。
ちょびのすけが精一杯生ききってくれたことに、
私と一緒に暮らしてくれたことに。
色々なことにたくさん感謝をして、寂しいけれど楽しかった思い出を胸に日々を過ごす中で、ちょびのすけがもう居ないということを悲しみながらも、穏やかな日常を送っていたのですが。
実は1か月ほどしたあたりで、私は少しづつおかしくなっていました。
私なりに懸命に考えて、ベストを尽くして看取ったのに。
気づいたらものすごく自分を責めていました。
もっとこうしてあげたら良かった。
本当はこうだったんじゃないか。
ちょびのすけは幸せだったのだろうか。
亡くなる前の数日、もっと介護してあげるべきだったんじゃないか。
私はなんにもしてあげていなかった。
思うように身体が動かないちょびのすけのことを放置していた冷たい人間だった。
日を追うごとにどんどん酷くなっていき、自分が残酷で最低の人間のように思えてきて。
ちょびのすけの部屋には、ちょびのすけのニオイが残っていたのですが、それが少しづつ薄まってきていることに気付いて泣きながら、どんどん変なスイッチが入っていきました。
ちょびのすけはどんな気持ちだったのだろう。
まるで取り憑かれたみたいに、ネットでアニマルコミュニケーターのYou Tubeを見まくりました。
そして、
私もちょびのすけの気持ちが知りたい。
私もアニマルコミュニケーターになりたい。
ペットロスに苦しむ、私みたいな人を助けたい。
そんな思いが湧き上がってきました。
You Tubeを参考にしながら、
実家のオカメインコに話しかけてみました。
なんとなく話せたような気になって、その話を友だちにして、友だちの愛犬ともお話しさせてほしいと頼みました。
友だちは、快諾してくれながらも、
「でも、アニマルコミュニケーターにならなくっても、ちょびのすけとの楽しかった思い出を思い出したり、居なくなったことを悲しんだりするだけでは駄目なの?」
と伝えてくれました。
ちょびのすけが息を引き取った直後の私は、確かにそうしていたし、それで満足だった。
そのことも自覚しながらも、その時はただ、アニマルコミュニケーターを目指そうという気持ちでいっぱいで。
友だちの愛犬と話をしたつもりになり、友だちに答え合わせを頼みました。
でも、内容は大ハズレ。
まったく話せていないことがわかりました。
焦った私は、アニマルコミュニケーターの本をポチり、もう一度友だちの愛犬と話そうとしました。
だけど。
心の奥から、ぶわっと強い思いがあふれてきました。
私は、ちょびのすけと喋りたいの!!!
わーっと号泣しました。
私が望んでいることは、こんなことじゃない。
自分の気持ちを置き去りにして、色んな動物と喋ろうとしてる場合じゃない!
泣きながら、スマホでアニマルコミュニケーターを探しました。
とっても素敵な方のページが飛び込んできて、迷わずちょびのすけと話してくださいと申し込みました。
なんでも自分で出来なければいけないと思いこんでいた、私のつらかった癖が出た。
だから、人に頼ろうと思いました。
そして、友だちにこのことを話しているうちに、今の私の状態は、母が病死したときに私がおかしくなっていたときと同じ感じだと言うことがわかり、
さらに、
一緒に暮らしていた大切な家族が亡くなって、それを悲しんだときに私がおかしくなることが分かりました。
私は何もしてあげられなかった。
その後悔で自分を責め続けること。
母を亡くして十年以上、そうして生きていたことを思い出しました。
今回、ちょびのすけでまた、同じことをやろうとしている。
そのことに気がついて、愕然としました。
ちょびのすけを
本当に怖くて怖くて、こんな私なんかが、大切な小さな命を預かったりしたら怖いことが起きる。
私なんかが育てられるはずがない。
謎に大きな恐怖を抱えながら、震えながら踏み出した一歩でした。
でも、何故
私は何もしてやれなかった。
と、自分を責めるのだろうかと考えました。
ちょびのすけが動けなくなってからは、遊ぶことはできなかったけれど、自分で食べることができていたから具体的につきっきりで介護したわけではないにせよ、毎日気にして様子を見ていた私を、何もしてあげていないと罵るのは、あまりに自分がかわいそうだ。
友だちと更に話をしているとき、ふと思い出しました。
インコだ!
と。
この、小さな時にネグレクトしたインコを死なせて、手のひらの上にインコの亡骸を乗せて泣いていたとき母から言われたこと。
ちゃんと世話もできないくせに
死んでから悲しんでも今更遅い
泣くくらいならちゃんと世話すれば良かったのに
私が世話をしなかったせいで、インコが死んでしまった。
インコを死なせた私に悲しむ資格はない。
そんなふうに強く強く思ってしまったこと。
私が何もしなかったせいで
私が死なせた
死んでから悲しんでも遅い
悲しむ資格なんてない
これらの思いが呪いとなって、私のセルフイメージを
大切な命を死なせる私
だから、悲しむ資格なんかない
ということにしていたのだと、気が付きました。
私の恐怖は大切な存在が傷つくこと
だから、一緒に暮らしていた母が亡くなったときに、この罪悪感が発動して、
悲しめば悲しむほど、
私が何もしてやれなかったせいで死なせてしまった。
そんな私に悲しむ資格はない。
と、悲しむ自分を責め続けていたのでした。
そして。
ちょびのすけの死を悲しめば悲しむほど、またその呪いが発動して
私に悲しむ資格なんてない。
という変なモードに入っていたのでした。
アニマルコミュニケーターになろうとしたのは、
母が亡くなってからスピリチュアルジプシーになっていたときと、とても似ている感覚でした。
悲しむ資格のない私が贖罪を求めていた。
そういうことでした。
ちょびのすけをお迎えして看取るまでをかけて、私の心に根深く影を落としていたこのトラウマが、ようやく、ようやく解消しました。
まさか、母のことと繋がるとは思っていなくて驚きましたが、遠くに住んでいた祖父母が亡くなっても、このスイッチは入らなかったので、やはりトリガーは
側にいたのに何もしてやれなかったせいで亡くなった。
だからそのことを悲しむ資格なんて私にはない。
ずっと、そうして自分を責め続けて苦しかったことが。
ようやく、ようやくわかりました。
そうなるのが怖くて私は、ペットを飼うことはもとより、子どもを生むことも出来ずに独身を通していたのでした。
ちょびのすけがくれた、たくさんの贈り物。
私の苦しみを救ってくれた、感謝してもしきれない大切な家族。
次の日記では、
アニマルコミュニケーターさんから戴いた、ちょびのすけのお話しを書きたいと思います。