最後に行き着くところ 続セルフカウンセリング講座 | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

昨日、ひらいなずさんの、


に行った話を書きました。


実は、講座の後
私的鬼門である珈琲ショップにて 珈琲  を飲んでしまいました。


お陰で寝つけず、半覚醒で
挙げ句の果てに、午前4時には完全覚醒( ・ε・)


つまり
一晩中、セルフカウンセリング講座で感じた
自分の幼少の頃の感情について
思い巡らす事態になってました(*´ω`*)マジメか。



結局私は、
物凄く父似なのです。
姿も、性格も、好きなことも、得意なことも。
遺伝子どんだけってくらい
父そっくり(笑)

しかも、弟とはぜんぜん違う。
私だけ父似。


母は、
手際が良いこと、奥ゆかしく品が良いこと、
ちゃんとしてること、潔癖なまでに清潔であること、
などに価値を置いてました。


父は、
じっくり熱中出来ること、積極的社交的であること、
個性があること、それなりの清潔さで構わない、
と、価値のベクトルが夫婦で逆でした。

つまり両親は、
ちゃんとお互いに補いあえる相手と夫婦で居たのですが。


私が、母を幸せにしたくて、母の価値観だけを採用してしまいました。


そうなると、
父似の自分自身を、
否定する必要がでてきました。
幼い私は、父似の自分自身を隠しておくために、それを封印することに決めました。


ゆうきんさんの声マスで見つけた私の正体は、このとき隠した私自身のことでした。


自分自身を無きものにして、
封印して隠してまで、
幸せにしたかった母は、
大病にかかって亡くなりました。



この時の絶望感は、
筆舌尽くしがたいほどでした。



私がこの気づきに至る切っ掛けになった、
まーくんのブログ

まーくんは、私が何に被弾したのか、なんのこっちゃだったようですが(笑)

まーくんが話していた、

「自分が選択した価値観に気づいた」

という話を聞いた瞬間、
先に書いた事を思い出した私の目からは
堰をきったように涙がこぼれてきたわけです。


昨日は、
勢いのままに色々書いてみたのですが、
デスピサロで言えばまだ、第1形態と遭遇したところで、

一晩かけて、
ようやく言語化して、デスピサロ本体を見つけられました(笑)
※ドラクエネタです。


人と話すこと。

人の話を聞くこと。

一人では、気づけなかったと思います。

改めて、有り難い時間でした。