便利という名の残酷な世界 | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)


肉を食べるとは、こういうこと。



北京ダック。

変わり果てた姿で吊るされている。

肩のところの皮をそいで、客に出される。
※とても美味しかったです。

姿を見せてくれるこのお店は、何て良心的。
お客は、心して、手を合わせて戴くことができます。




あなたが昨日食べた牛は。
涙を流しながら屠殺され(出典 ドナドナ)。

あなたがこないだ食べた豚は、
不衛生な豚小屋で、苦痛を感じながら屠殺されるまでの、不愉快な生活を送っていた。





私はベジタリアンではありませんので、たまには生き物を戴きます。


ただ、スーパーに並んだパックのお肉や魚が売れ残り、廃棄されていく様子を見ると、
何かが、違うのではないかと感じるのです。

食べるから命を戴くのであり。
食べないのに殺す意味はいったいなんなのか。
食べないのに、殺すためにわざわざ、
たくさん生ませるのは何故なのか。


食肉は、
食べる分だけ注文制にできれば、
そもそもそんなに沢山牛や豚を
増やさなくても良いのではないのか。

地域の畜産業を営む方々に、
食肉店が仲介して、
食べる(売れる)分だけ卸す。

そう。

昔のシステムの方が
賢かったように思います。

無駄な廃棄がなくなる分、
ゴミ問題も解消に近づく。



大量の廃棄物が作られてしまう
便利という名の

残酷な世界。