肉を食べるとは、こういうこと。
北京ダック。
変わり果てた姿で吊るされている。
肩のところの皮をそいで、客に出される。
※とても美味しかったです。
姿を見せてくれるこのお店は、何て良心的。
お客は、心して、手を合わせて戴くことができます。
あなたが昨日食べた牛は。
涙を流しながら屠殺され(出典 ドナドナ)。
あなたがこないだ食べた豚は、
不衛生な豚小屋で、苦痛を感じながら屠殺されるまでの、不愉快な生活を送っていた。
私はベジタリアンではありませんので、たまには生き物を戴きます。
ただ、スーパーに並んだパックのお肉や魚が売れ残り、廃棄されていく様子を見ると、
何かが、違うのではないかと感じるのです。
食べるから命を戴くのであり。
食べないのに殺す意味はいったいなんなのか。
食べないのに、殺すためにわざわざ、
たくさん生ませるのは何故なのか。
食肉は、
食べる分だけ注文制にできれば、
そもそもそんなに沢山牛や豚を
増やさなくても良いのではないのか。
地域の畜産業を営む方々に、
食肉店が仲介して、
食べる(売れる)分だけ卸す。
そう。
昔のシステムの方が
賢かったように思います。
無駄な廃棄がなくなる分、
ゴミ問題も解消に近づく。
大量の廃棄物が作られてしまう
便利という名の
残酷な世界。