愛情と言う名の心配
でくるまれそうになった。
安全でたいくつな場所から、決意をもって踏み出そうとしていることに対して、リスクを問われた。
もし、失敗したら?
生活は?
人から評価されることをしたほうがいい。
素養があんまりないんじゃないの?
応援してくれると思っていた人からの、そんな言葉に私はビックリして、そして伝えた。
上手くやらなきゃと考えていたら、死ぬまでなにもやれないこと。
他人からの評価なんて、他人が勝手にすることで、そんなの後からついてくること。
安全な場所で死んだように生きていても意味がない。死ぬまでこんなことの繰り返しは嫌だ。
反射的に、そんなことを熱弁していた(笑)
言われたことに対して嫌な気分になったけれど、分かったことがあった。
ひとつめ。
こういう形で、私は宣言させられたと言うこと。
自分の中にほのかにあった不安が、むしろ相手の口から出たことへの反応で、自分で解決してしまった。と言うこと。
ああ、わたしは本当にやりたいんだな、と改めて確認ができた。
ふたつめ。
実は、それを言ったそのひとこそ、過去に私以上の決断をしている。
家族を抱えて、安定した仕事をやめて、収入もない環境に飛び込んでいる。
むしろ、衝動的に、家庭を壊しかけてまで。
それに思い至ったとき、わたしははたと気がついた。
ああ、相手から言われたあの言葉たちは、
あの当時の、その人のことだったのか。
生活は?
評価は?
そんなことに悩みながら、過去に運命の舵切りを決断したその人が、わたしを通して今、当時の感情を追体験していたのか。
そこに気づいて、謎が解ける。
自分の世界にはただ、自分が居るだけ。
その意味が判る。
心の世界を知って、私の謎解きは、ますます加速している。
昆虫目線だそうです。