哀しい出来事の裏には。 | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

日本は昔から、地震の多い国でした。

歴史を紐解いても、何度も地震、台風、洪水、津波、火山などの被害にあっています。
そして、そのたびに人々は大切な人を亡くして、悲しみに絶望の思いを抱いて泣き暮れて。


東日本大震災の時に書かれた色々な記事のなかで、江戸時代の人が残した「津波の境界線」があったことを知りました。
「ここまで津波が来た」
ということを、後世に残そうと、標が置かれていて、あの時も確かにその標より標高の高い場所、奥地には被害が出なかったそうです。

後世の人が、自分たちの子孫が、自分たちのように哀しい思いをしないように、残してくれていた標なのかと思うと、切ない気持や有難い気持ちが沸いてきます。


今回、熊本県を中心に九州に地震がありました。
九州は、日本列島の中では異色と思うほど、地震の無い場所です。
福岡西方沖地震のときは、九州に住む多くの人が、まさか九州に地震がくるなんてと驚きました。
私も、あの日九州であの揺れを体感しています。



何故、こうした災害がこの世の中に存在するのでしょうか。
しかも、こうした災害で亡くなってしまうのは、人柄が良くて皆に惜しまれるような人が多い気さえします。


自然は、人智を超える神さまの力なのだとしたら。

地震は、大地のエネルギー。
地震や火山が多い場所は、大地のエネルギーが強い場所。
台風や竜巻は、天のエネルギーが強い場所。

そう考えると、やはり日本は神の世界のエネルギーが、より多く注いでいる場所なような気がします。

そして、そこに「水」の力(津波、洪水、台風)が加わることで、浄化作用が大きく働くのではないか。


こうして大きな自然災害が起きる場所には、
神さまからの大きなエネルギーを受け止められるだけの力と、
受け止めて何かをなさねばならない、大きな使命が、あるのかもしれない。

災害時にも気高い日本人の姿が、世界中の人々に感銘を与えたこと。
人としての誇りはかくあるべき、という手本を見せたこと。。。
人類が目指す平和の在り方や、そのための姿勢を示したのではないか。。。


鎖国の時代、日本を訪れた外国の人は、この国を「黄金の国ジパング」と呼び憧れていたようです。
それは、本当に金の装飾が行われていた訳ではなく、木造の質素な建物に住んでいて
100年の平和な時代を築いた国で、人々が自然や先祖などあらゆるものを敬い、
互いに親切で楽しく暮らしていた、あの精神を「黄金」と呼んだのではないかなと。
そんな風に、感じさせられてしまいました。