神主と陰陽師 お祓いの違い | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

神主と陰陽師は、どう違うのでしょうか。


割と一緒くたに考えられたり、陰陽師が現在の神主になったと思われたりしているかもしれませんが。

神主と陰陽師は似て非なる存在です。
役割もきっちりと違います。



陰陽師は、神主と共に平安時代に存在していた、公的な役職です。
平安時代、神主は神祇官という役職で、仕事内容は祭祀。つまり神さまをお祀りする事でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A5%87%E5%AE%98
陰陽師は、陰陽寮の職員で、仕事内容は占術などを担当していました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E5%B8%AB


祭祀と占術が全く異なるものだという事は、想像がつきます。


ここで、陰陽師で有名な、安倍晴明を思い出してください。
あれは有名なので、小説や漫画や映画などで、ちょこっとでもどんな風な事をしていたのか、見た事がある方も多いと思います。

まあ、あれは大げさにアヤカシ退治とかしている訳ですが(笑)
方位を見て占ったり、今で言う風水的なことを担当していたみたいです。

つまり、現在で言う所の占い師が、平安時代の陰陽師だった訳です。


因みに、私はあんまりその辺詳しくないのですが、漫画を見る限り、「病魔調伏」はお坊さんが担当していたみたいですね。源氏物語とかそうだった気がします。



つまり、平安時代と今を対比すると

神祇官=神主
陰陽師=占い師
僧侶=僧侶

というポジションなんでしょうか。



ここで、陰陽師がしていた占いについて。

日本に限らず、どこの国でも国の行く末に関るようなことは、お抱え占い師のような存在に尋ねていたようです。
陰陽寮も、方位を見たり暦を作ったりと、現在の占いに類することをしていたようです。
あと、安倍晴明ネタを見る限り、妖魔調伏とかもしていた様子。

逆を言えば、当時の神祇官は、神さまにお仕えするけど、占い的な事や妖魔調伏は出来ない(する必要がない)訳です。


陰陽師がどうやって妖魔調伏をしていたかは判りません。
現代でも、霊能者が「キエー」とか言いながら徐霊とかしているみたいですが、同じようなものなのでしょうか。


霊能者が、キエーとか言いながら(かどうかは知りませんが)徐霊するのと、神主にお祓いをしてもらうのは、果たして同じ事なのでしょうか?


答えは「大違い」です。
やってる事が違います。



大原則ですが、神主に妖魔は見えません。
神主は妖魔の類が見えたりしないのは当然ですし、会話をする事なんてありえません。
たまに、「神主の癖に心霊の存在も判らないのか」なんて思ってらっしゃる方がいらっしゃいますが、見えるわけがないのです。


人にはそれぞれ、担当分野があるのかもしれません。

神主は、日々神さまにお仕えしなければならないので、心霊の類(昔で言う妖魔)が感知出来ない体質でなければ勤まりません。
もしも妖魔を感知する体質だったら、何に仕えればいいのか迷うからです。
だから、神主は生まれつき、神さましか感知出来ません。


それと更に、神主は占いも出来ません。
厳密に言えば、長ったらしい神託も受けません。
というか、基本的に神託なんて、本当に特別な方々を除いて誰も受ける事が出来ません。
特別な方々というのは、古来神々の意思を厳格に受け継いできた方々です。
とりあえず、あなたがたでも私たちでもありません(笑)


巷で、「神との会話」という本が売れに売れているようですが。
このblogを読んでくださっている方は「またオマエのスピアレルギーか」とお思いでしょうけれども(苦笑)
神さまって、あんなにベラベラ喋るでしょうか?


よくよく注意すべきです。



私自身がそうだからですが、私は神さまから色々なことを聞きだそう何てとても恐れ多くて思えません。
だから、受け取れないだけかもしれません。
神さまと長ったらしく会話が出来る人を完全否定はしませんが……
私はそういうものを警戒します。


もっといえば、私は子供の頃から丹波哲郎さんの「大霊界」が愛読書だったので、守護霊様にはいつも一方的に話しかけていました。


「今日もお守りください」
「お守りくださってありがとうございます」


心の中で、暇があればこんな感じで思ってました(笑)


そうしていると、ひらめきがあったり、ふと何かが心に浮かんできたりします。
世間では、その浮かんでくるものやひらめきを、ハイヤーセルフ(または守護霊、ガイド)との会話だと言われているようですが、私にとってはこれはごく自然な事で、誰にでもある普通の現象だと考えるものです。

しかも、そのひらめきや浮かぶものは、長ったらしい会話形式なんかではないです。



大概


「無理」

「大丈夫」

みたいなニュアンスがポッと心に浮かび上がるだけです。
これは、子供の頃から私に普通にいつも起きてきた現象です。




この現象は神主にもおきます。
真剣に神さまにお仕えしている神主なら、顕著に当たり前のようにある感覚です。

でも、神主は神さまと会話はしません。
ましてや、心霊の類との接触なんてもってのほかです。




陰陽師が妖魔調伏をどうやって行っていたのか、本当の所は私は知りません。
私自身が陰陽師ではないからです。

でも、多分妖魔の存在を感知して、術を施したのでしょうね。

神主は、妖魔の存在を感知出来ません。
大概、神主は霊能力皆無で、もしも神主の家に霊感の強い人間がいるとすれば、それは神主の妻だったり跡を継がない娘だったりするのでしょう。

(全国の神主全員にインタビューとかした訳ではないので、もしかしたら霊感の強い神主もいるかもですが(笑)


じゃあ、神主に頼む「お祓い」って何よ?!?!?


お祓いをしてもらった経験のある方なら、そう思われたかもしれません。

神主が行う「お祓い」は、神さまの光に降りてきていただく行いです。
神さまが降臨するわけではないですよ。
神さまの世界の清らかな光が、降り注ぐようにするためのものです。


神社で「ご祈祷」を受けたことのある方は思い出すかもしれません。

まず、バサッバサッとお祓いをしてもらって、それから神主が「祝詞」で自分の名前を読んでくれて、最後に玉串という名称の木の枝を渡されて神前にお供えしたと思います。


祝詞や玉串で、参拝者の心を神さまにお伝えする前に、まず神さまにきちんと届くための光の道を作る。

それが、お祓いです。


スピ的に言えば、高い波動を送って波動を高める、という感じでしょうかね。



良くない場所や良くないものをお祓いするのも、現代では僧侶や神主の役目になっていますが、その際も神主は、「良くないものを祓う」行為をするわけではありません。
あくまで、「その場所、そのものに神さまの光が降り注ぐようにする」のです。

その結果、良くないものは大海原の向こうの方に運ばれて浄化されると言うわけです。

大海原と言っても、具体的な海外のことじゃないと思いますけど(笑)




ちなみに、現在も神社で各種の占い神事があります。
ここでも、占者は基本的には神主ではありません。
神主が神託を受ける準備をし、占者が神託を読み解きます。
これは占いを先祖代々受け継いできた家系の人が専属で行います。

これは昔、天皇が神託を仰ぐ時に必ず審神を置いたことを受け継いでいるのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%A9%E7%A5%9E%E8%80%85


ちなみに、陰陽師は神託の類を受ける事は出来なかったと思われます。





何が言いたいのかというと

陰陽師は心霊など、危ないもの担当で
神主は、神に仕えること担当

という、全く違う分野をそれぞれ担当しているのですよということ。