スピリチュアル中毒と謎解きの道 | なかいま ~ただこの瞬間を

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なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

……最近の結論ですが、スピリチュアル中毒というのはここ最近の流行り病なんじゃないかなとか。


かくいう私も、陥ってました。
スピリチュアル中毒というか、スピリチュアル依存症?


現在抜け出したと言うか、自分自身の状態を整えられた(元に戻せた)のでこうして書けるわけですが。


ヒーリング特化したものを除き、何らかのメッセージを貰うようなセッションの場合。

スピリチュアル系のセッション(似非ではないセラピスト前提)でもらえるのは「自分の高次の魂からのメッセージ」な訳ですが。


その「自分自身からのメッセージ」という事に甘んじて、何を決めるにも前に進むにも、セラピストのセッションを頼ってしまう自分自身。


転んだ子どもが自力で起き上がれるようになるためには、手を差し伸べてはいけない訳なので……

最近ふと思うのです。

「確認」の為にセッションを受けると言うのが、恐らくより望ましいスピリチュアルとの付き合い方だと思うんです。

「自分自身の進む道」などが見えなくてセラピストを頼ると言うのは、単なる依存だったのだなあと最近自分を省みて痛感しています。


セッションを受けると、痒い所に手が届くように前世の話を貰ったり、ハイヤーセルフからのメッセージを貰ったりします。



一時期、私も自分がそういうメッセージを自力で受信出来るようになりたいと、あがいた事もありました。
過去日記に赤裸々に書いてますけど(笑)


でも・・・


最近ようやく気付いたんです。

そういう情報を、進む道を近道する為に得るのは、随分効率が良い事のように思えるけど。

結局、自分で転んですりむいて泣いて、自分で立ち上がるまでは、先に進む事は出来ないんじゃないかと。。。


どんなにセラピストに何度も手を差し伸べてもらっても、「立ち上がり方」を練習させてもらっているだけで、「立ち上がっている」訳ではないんじゃないかって。


だから、「立ち上がり方の練習」をしているに過ぎない、立ち上がれている訳ではない、という事を認識した上で頼るのは有り。
でも、いずれは自力で立ち上がるべき時が来る事を知っておく事は、大切じゃないかなって。


私の場合、(本来は自立していたのにも関らず)一時的に余りにもセラピスト依存が激しかった為、目を覚ます為の出来事が半強制的に起こって盛大にスッ転ばされ、大泣きするほど痛い目にあったわけです。


そして、自力で立ち上がりようやく今になって気付きました。


セラピストは、自分のハイヤーセルフからのメッセージを仲介してもらう為の存在じゃない。
自分がこう進む、と思った道の応援をして貰うための確認をする存在であること。

だから、セッションで何か指針を示して貰ってはダメなんだと。
本筋は自分自身で完全に決定し、決意し、彩のオプションについて望ましいものを確認する為に受けるのがいいんじゃないかな。
もしくは、自分自身で気付いていない盲点や課題に焦点を当てる手伝いをしてもらう存在。

盲点を指摘してもらった後、それをどうするかは自分で決めるのが本来の在り方かなと。



そして、バラバラに胸中にあった疑問がひとつに纏まりました。



日本では、昔からセラピストが居た訳ではなく、寺社仏閣の聖職者がその役割を担っていました。
寺社仏閣では基本的に、所謂セラピストのように丁寧に前世を見たりオーラを見たりはしません。
ただ会話の中で、悩みを持った参拝者の心の内を光で照らし、自分自身と向き合う手助けをするのみ。

それを、昨今の参拝者の中には「冷たい」と感じる方も居たりします。


どうしてなのかと考えていたのですが、答えは今私の中では明確になりました。
寺社仏閣では、転んだ参拝者(クライアント)に手を差し伸べて起こしてあげたりしないのです。
ただ、自力で起き上がる道を示すのみ。

転んだクライアントを抱き起こすのがセラピストなら、聖職者は転んだクライアントに対し「神さまが見守っていますから、安心して起き上がりなさい」と励ます。


私はお寺の事は余り判りませんが、神社なら「ご祈祷」をして差し上げる訳です。
それは、神と参拝者との対話の場を設けてあげることと表現してもいいようにおもいます。



昨今のスピリチュアルブームについて。

よく、ライトワーカーは2012年のなんちゃらの為に、多くの人を導く為に沢山存在する必要がある、みたいなポジティブ?な書かれ方をしているのを見かけますが。


私的には、昔はその機会さえ与えられれば自力で神と対話する事が出来た人々が、精神的に弱くなっていて自力で対話が困難になっているため、対話できる人間を仲介に置かなければならないほど精神的に衰弱しているのではないかと考えます。


そこで、何故アメリカにスピリチュアル系のリーダーが多く生まれているのかの私の疑問も、ようやく腑に落ちるわけです。


神と繋がっている人々には、そもそもセラピストは必要ない訳ですから……