オーラソーマ | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

以前紹介したオーラソーマ、再びやってみました。
毎回、ドンピシャの結果がでて怖いですよ(笑)





◆ 一本目 魂のボトル(あなたの本質を示します)

愛情深く、やさしさに満ちた人です。たとえ男性であったとしても、女性的でしなやかな感性を持っています。溢れる愛情と思いやりの心を携え、それを人に示すことができます。自分の進むべき道を理解し、それを強引に推し進めることなく、周囲と共存し、調和しながら、現実社会をたくましく生きていくことができる人。周囲に流されることなく、自分をしっかりと保ちながら、穏やかな力で物事を成し遂げていくでしょう。

ボトルNo 099
ボトル名 大天使ザドキエル
カラー ペールオリーヴグリーン/ピンク


◆ 二本目 チャレンジ&ギフトのボトル(あなたの過去と乗り越えるべき課題を示します)

懐疑的な状態をあらわします。人を必要以上に疑ってしまうようです。物事を悲観的に捉え、何事にも心配しすぎています。周囲から、喜びやギフトを受け取るより、問題や障害を多く与えられてしまうと感じがちです。子供の頃、または現在において権威の前に屈した経験を引きずっているのかもしれません。父親との関係との葛藤があり、権威的な存在に対して必要以上に恐れがち。常に犠牲者的な感覚から逃れられないようです。

ボトルNo 024
ボトル名 ニューメッセージ(新しいメッセージ)
カラー ヴァイオレット/ターコイズ


◆ 三本目 「今ここ」のボトル(現在の状態と気づきを示します)

まったく異なる価値観を手に入れようとしています。本来持つ、深い平和への希求と強い精神性を取り戻します。今なら、深い苦しみも痛みも、乗り越えることができるでしょう。誰かを恨んだり、報復することでは何の解決も見出せないことに気づきます。争いの連鎖ではなく、平和的、進歩的手法で状況を改善することができるでしょう。理不尽だと思っていた現実が人生に必要なことだと気づくとき、あなた自身も大きく成長を遂げるのです。

ボトルNo 102
ボトル名 大天使サミエル
カラー ディープオリーヴ/ディープマジェンタ


◆ 四本目 未来のボトル現在の状態からどう変わっていくか、未来の可能性を示します)

前向きで強いエネルギーに満たされています。どんなつらい経験も受け入れ、それを肥やしにして、人間として成長を遂げています。過去を手放したあなたは、大いなる変容を果たしているのです。見返りを求めない無条件の愛により、自分が癒されることを実感しています。内面に深い愛と叡智を携えているあなたは、自分を受け入れ愛し、またそれを惜しみなく人に与えることができるのです。心は、至福や歓びの感情に満ちています。

ボトルNo 098
ボトル名 大天使サンダルフォン
カラー ライラック/コーラル





進むべき方向性が、かなり明確に見えてきました。
不思議な話なのですが、最近ふとした時に物事のピントが合うというイメージが起こるのです。

眼鏡やコンタクトを作ったことがある方なら判ってもらえると思うのですが、覗くとぼやけていた映像のピントが自動的に合って、ハッキリ見えるようになる機械ありますよね。
あれを覗いている感覚が、たまに起こるんです。

まだ、確定したわけではないですが、かなり自分が見失っていたものを思い出し始めました。
これも偏に親友の丁寧なケアのお陰です。
素晴らしい友人をもてたこと、本当に、心から感謝をしています。


今日、ひとつ気がついたことがありました。
現在勤めている職場は、まだ私が自分を見失う前の状態が辛うじて保てていた時に勤め始めていました。
そう、辛うじて、私というものの状態を繋ぎ止めていたのが、この職場だったのです。

同僚が軽いチョンボをしたのですが、私と同僚のチョンボが3対7位。
具体的に言えば、同僚の仕事のミスチェックを私がして、付箋をそこに貼ったのですが、普通に見えるように付箋が貼れた書類もあったのですが、いくつかは内側に書かれた部分のミスだったので書類の内側該当部に付箋を貼って、添付の一覧表の資料に修正内容を細かく書いておいたんです。
「訂正がある書類に付箋貼ったよ。内容は添付資料見てね」
と言っておいたのですが、書類の付箋だけで修正した同僚は、内側に付箋をつけたもののミス修正を見落とした訳です。

これ、人によっては「ちゃんと資料も見てっていったでしょ!」って、相手を非難して自己保身しますよね~(笑)
でも、私はこういう場合「あ、ごめん。付箋内側に貼っちゃったから見えなかったよね」って、自分にももっと望ましい行動が出来たと思われれば、自分にあった非は普通に認めて謝ります。

で。
ちょっと前までの遊びの場では、これで自分の首を絞めていた訳で。

でも。
職場でこれをやって、私に非を被せてくるような人は居ない訳です。
同僚も、私が悪いから修正漏れした、なんて考えもしない訳です。自分が見落としたって素直に認めます。
私が、かなり謙虚に自分の改善点を見つけているのを相手も判ってて、お互いが素直に謝りあって助け合える風潮を作っているってことを、きちんと判ってくれているのです。

だから、こういう行為を私は自然に今までやってきているんですよ。
お互いに自分の非を認め合って、助け合おうねっていう空気が生まれるから仕事がやりやすくなるから。

今でも、前に一緒に仕事をしていた同僚たちに、また私と一緒に仕事がしたいって零される事があります。今彼らが置かれているセクションの雰囲気を見るに、なるほどと思います。
殺伐とした雰囲気で仕事をしている様子を見ると、手前味噌ですが、私が居た頃の「皆でがんばろ~♪」という空気が懐かしくなるのかなと。あの頃は、忙しい人を皆で率先して助け合う空気がありました。
というか、私が行くまでは違ったのですが、私自身が助け合う仕事の仕方を好むので、率先して色々ヘルプをしたりしてもらったりしているうちに、そういう空気になっていったんです。


非でも仕事でも、他人に押し付けていたら、人は離れていきます。
逆に、他人の荷物も自分に余裕があれば手伝って抱えてあげたらいいじゃないって思ってやってたら、自分が辛い時、他人は笑顔で手を貸してくれます。
私は、そうやって仲間を助けて回っていたら、本当に自分が困った時に皆が気持ちよく助けてくれて、本当に有り難い思いをした事が実際に何度もあったんです。

だから、相手の荷物も抱えてあげよう、という行為は、いい事だって思って居る訳なのです。


最近改めて気がつきました。
こういうことが、通用する場合としない場合が存在することを。

私が、自分が自分らしく居られる場所を敢えて選んで居なかったのが、この三年間だったのかなと。

自分の取り分を忘れてしまう時。
それは、「私が私の取り分を後回しにしていることを、察しって取り分けておいてくれる人たちと一緒に居る」と、取り分を忘れていることに気付かないわけで。

今までは、ちゃんと私の分も取っておいてくれる人たちしか、周囲にいませんでした。
でも、自分の分は自分でちゃんと取らないとダメだって、きっとこの三年間は教えてくれたんだと、そう思います。


人生に無駄なことはなにもない。
自分に起きるすべてのことに学びがある。

辛い思いを乗り越えるたび、感謝の気持ちが強くなってゆくような気がします。