晴れの日の休日 | なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま ~ただこの瞬間を

なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

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今日は久し振りに晴れて家に居る休日でした。
敷地内に水漏れがある可能性があったので、水道やさんをお願いしてたため外出も出来ず。


起きてぼんやりと考え事をしていると、無性に庭の草むしりがやりたくなりました(笑)

わたし、お手伝い以外で能動的に庭の草むしりなんて、やったことないのですよ。
今までは、面倒臭いのと虫が苦手なのとで避けていました。
ええ、業者さんを呼んで何万も支払って草むしりして貰う位……


今日は、軍手片手に自分で庭に出ました。
庭には、だんご虫も蟻んこの大群もみみずもいましたさ。
何て土壌がいい庭なんだ(涙)

早速、軍手で雑草と思われるものを引っこ抜き始めました。
というか、木と花が咲いているもの以外全部雑草な気が!!!!!

特にドクダミの繁茂は目を見張るばかり。

引っこ抜いていると、段々庭の地面が見えてきました。うーん(笑)

壁際には抜いた雑草の山が出来上がってきます。いや~、いい汗かいてきました(笑)



どくだみ茶でも作れそうな勢いのどくだみを抜き終わると、庭の奥にジャスミンが咲いているのを発見(笑)
季節の花が咲く、本当に綺麗な庭なんですね家>今更


庭の半面の雑草を抜き終えた所で力尽きました。
それでも、これはいい休日の過ごし方だなあって本当に思いました。

・それが雑草かどうかは自分が自分の価値観で決める。
・たとえ花が咲いていて綺麗でも、自分が雑草と思えば雑草になる。
・綺麗だからと抜かないで居たら、庭は草で埋もれてしまう。
・だから、手入れの一環として、雑草を決めて抜く事は必要な事。
・本当に美しいものも雑草が繁茂しているとそれに埋もれてしまう。

これ。
庭の手入れの単純な論理ですけど。
何にでも該当しそうじゃないですか?

草木にも命があります。
その命を抜いてしまう事を躊躇っていたら、家の庭は物凄いことになります。
ジャングルか荒れ野かみたいなね(笑)

だから、定期的にメンテナンスの一環で、自分にとっての「要るもの」「要らないもの」を決める、というのは、大事な事なんだなと、庭の草むしりから今日も学びました。


これが、私が午前中頭を悩ませていたことへの見事な回答になってました。
言葉の表現が適切かどうかはさておき、本質を考えてみた場合に、私は今回、徹底的に庭の草むしりをしただけ、なのでした。。。

どの位花を残すのか、どの花を残すのか、どんな方法で草をむしるのか、は、本当に自分で決めていいんですよ。
だって、自分の庭だもの。

私は軍手をはめて草を引っこ抜きましたけど、それこそ除草剤を撒いたりクワで一気に耕したり、方法も色々あるんですものね。


で。

今、食卓には、一輪挿しに美しいジャスミンの花が飾られています。

草むしりをしなければ、手が届かない所にあった、いい香りの美しい季節の花。
その花を手に出来た今日に、感謝…。