☆お神札、お守り、御朱印帳 違いは? | なかいま ~ただこの瞬間を

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なかいま

過去から未来へと、連綿と続く時間の中で、その「中」である「今」を生きる。という言葉です。

なかいまを生きるとは、今この瞬間の自分自身を、全力で経験するということ。

ハムスターのちょびのすけに、常に全力で振り回されています(笑)

近年は、御朱印集めがめちゃめちゃ流行っていますね。

私はどちらかと言えば御朱印帳に書く側で、常々

 

「御朱印集めて、みんなどうしているんだろう。」


と思っていました(笑)
全国津々浦々から、早朝から夕暮れまで、御朱印帳を抱えて色んな方が来られるのです。

私の個人的な考えなのですが、


神社というのは、神様の世界とダイレクトに繋がる聖域で、

神主が何をしているかというと、その聖域を護っている、成り立たせている。

調整役を担っていると思っています。
(宮司の力が露骨に出る部分だと思います)

神主が祝詞をあげるとき、私は神様の世界のエネルギーと、その場にいる人びとの(思いという)エネルギーが繋がるのがわかることがあります。
(わからないときもあります)

まえに、「神主なのに霊感がないのか」と言ってる方がいたのですが、上記の理由から、神つかえの役割の人に霊感があると困るので(繋げる場所を間違うから)、特に聖域を守る役割の宮司には、霊感(変なものが見える感じる)はないハズだと思ってます。

で。
お神札、お守り、御朱印の違いについて。
長くなりましたので、次の記事でこれを考察してみます。

 

 

※本記事は、私の別ブログからの採録です。