他人を裁く心理
- 2019/04/08
- 23:52
それもかなり。
過去世で禅問答でもしていたんじゃないかってくらい。
世の中の真理を知りたいと言う思いが、子どもの頃からとてつもなく強い。
ときたま、あるテーマについて色々と考えを巡らせる。
本日は
人を裁くこと
日常あるある
「あの人はああだこうだ」
他人を裁くとき、裁く側の人間はまるで、裁判官にでもなったような、正義の側のような気持ちになる。
でも、裁判官と違うのは、裁判官は六法全書に基づいて裁くけど、日常あるあるの方は、根拠となる法律が得てして不明瞭。
「いや、そんなの常識だから!」
と、青筋たてて反論されるのも日常あるある。
常識って、いったい誰が作ったんだろ?
杖をついたよぼよぼのおじいさんを見て、シルバーシートに座ってる、早足でスタスタ歩けるくせに知らん顔してる、若者やおじさんおばさん世代は常識的にどうなの?
と、私が勝手に作った常識を、一方的に他人に当てはめてこうして裁く。
でも、私にもマイルールがあって、電車のなかでおばあさまに見える女性には席を譲るけど、おじいさまに見える男性でも背広着てる人には、よほど杖ついて倒れそうじゃない限り席は譲らない。
働ける元気な男は女性に席を譲るべし。という、これまた極めて主観的な私の勝手ルールなのだ。
これは、昭和の時代に遡る。
今の学生には信じられないことだと思うが、昭和の時代、電車で座っている男は居なかった。
椅子は女子供に座らせるもの、という気概が普通に男性達にあって、結構なおじいさんでも女性を座らせて、背筋を伸ばして立っていた。
その姿を見て、格好いいなあと子供心に思っていた私にとって、男が女を突き飛ばしてでも座ろうとする平成は、まさに男に激しい幻滅を覚えた時代でもあったのだ。
という背景があり、私は電車で女性を立たせて我が物顔で座っている男に、
ケッ
と、ついつい感じてしまうのだ(笑)
で、女性を座らせようとする男性には、それだけで目がハートになる❤
ジェンダーバッチ恋
というわけで、ジェンダーフリーについても、特性を無視して
男も子供を産め
女も60キロの荷物を運べ
と言われてもね~(*´ー`*)
と思うのである(笑)
とまあ、人を裁くお題で問答しているうちに、ジェンダーフリー論争にまで発展する私の脳内である。
「そんなの常識だ」
「普通そんなことしないだろ!」
などなど
結局、人を裁くとき、裁く側の人間は大概にして正義な訳ではなく、その人が培ってきた(その人の)ものの見方考え方に合わない事象に対して違和感を感じているだけなのかな~
と、ほんのり思うのである。
※ここから追記
そして先日、私はこんな光景を目の当たりにしました。
やはり、老夫婦がバスに乗り込んできた。
先日と同じように、シルバーシートの若者は知らんふり。
先日と同じように私は立っていました。
シルバーシートの長椅子に、若い女が座って夢中でスマホを弄っている。
そのすぐ横で、老夫婦のお爺さんが、おばあさんに
「座りなさい」と空いている一席を示す。
おばあさんは、一生懸命詰めておじいさんにも座って貰おうとするのだが。
横の若い女が譲らないのは勿論、詰めようともしないため邪魔で、おじいさんも座ると窮屈に。
とうとう、おじいさんは座るのを諦めて立つことにしました。
おじいさんの傍でやはりシルバーシートに座っていたおじさんが、
「どうぞ」
とおじいさんに席を譲りました。
私は「うん、普通だな(〃´ー`)」と思って眺めていました(笑)
老夫婦はとても感激した様子で、「有難うございます」と、何度もその
おじさんに頭をさげていました。
少しして、若い女がバスを降り、(シルバーシートを譲らない奴に限ってすぐ降りる)
おじいさんはおばあさんの横に座ることができたので、
おじさんはまた元のシルバーシートに座りました(座るんかい!笑)
少しして、老夫婦がバスを降りる時、またそのおじさんに、お礼を言って頭を下げて
降りていきました。
おじさんは、2人分の「有難う」のシャワーを浴び、私みたいに傍から眺めていた人たちの
「よくやった」の念を浴び、なんだか運が上向きそうな感じでした(笑)
・・・そしてまあ、譲らなかった女が浴びたものはアレだよね(笑)とも思いつつ。
目には見えないものにこそ、一番力があるのかもしれないと、更にほんのり思う出来事でした。
※現在、私が執筆している、いくつかのブログの統合作業中です。
この記事は、過去に別のブログで書いた内容の採録且つ再録。
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