◆ドイツ4年7ヶ月の生活で、得たもの3つ(超長文)
こんにちは、ピアニストの山崎綾子です。
まもなく、ドイツ生活を終えて、日本に帰ります。
ドイツには、これからも年2回は来たいなぁと思っているのですが、ひとまずの区切り目として、「ドイツ生活で得たもの」を書き留めておきたいと思います。
健康になった
ドイツに来て、体重がドンと、増えました。
えー、だいたい6キロくらい?
来てすぐに、2〜3キロ増えて、その後、コロナ生活で仕事が忙しくなるにつれて、年々、1キロずつ増…みたいな感じ。
いや、これでも標準体重に届かないくらいなので、決して「肥満」ではないのですが、日本では「身体大きめのひと」として見られるのかもね。
自分でも、数年前は、細かったなぁ、と思います。
でもね!
こちらに来てから、本当に元気になったと思うのです。
まず、(めったに)体調を崩さなくなった!
一年に一回くらいしか、ちゃんとした病気にはなってません。(コロナと、胃腸炎、食中毒、あと一回くらい高熱出した)
内科系で病院に行ったことは一度もありません。
首を痛めたとか、外科系は、数度ありました。
緑内障の疑いありで眼科に定期検診にも通ったかな。
だけど、そのくらいです。(忘れてるのもあるかな)
感覚としては、日本では、いつも、疲れていたり、だるかったり。
鼻・のど・咳で、頻繁に通院もしていました(日本から、もらった薬を持ってきていましたが、たいていそれ)。
ドイツでは、そういう慢性的な疲れは、ほとんどなかったですし、喉や鼻も、そこまでひどい状態になることは少なかった感覚です(まぁ、そうなった時には日本からの薬を飲んでいたわけですが)。
日本では、痩せていた代わりに、体力がなかった。
外食も多かったし、良いものを食べていなかったのかもしれません。
ドイツは、外食はべらぼうに高いけれど、食品はそこそこ安いです。
今は、ユーロがものすごく高い(1ユーロ162円…)ですし、戦争の影響でドイツ国内でも随分物価が上がりましたが、それでもまぁまぁ安いです。
スーパーでもマルクトでも、どーんと盛られている、元気な野菜や果物の山。
豪快な量の、新鮮なお肉。
乳製品も種類豊富で、安い。
ビールも、ワインも、安くて、美味しい!
そして、bio製品(オーガニック製品)が、とっても身近!
bioと言っても品質基準はいろいろなのですが、まぁそこは置いといて。
決して「意識高い系」の人が買うものではなく、値段もほとんど変わらないものも多いので、日常的にbio製品を選んでいました。
そして病気は、薬じゃなくてハーブティーで治す!
風邪のお茶、咳のお茶、胃のお茶(胃もたれとか)、アンチストレスのお茶、そして膀胱炎のお茶まで!
何度も、助けられました。そう、効くのです。
そんなドイツの食は、私には非常に合っていました。
外食は高いから、特別な時にしか行かなくて、家で、自分で作った方が安上がりで、美味しい。
あと、日本のような「ファミレス」はないですからね。
マック・ケンタッキーとかはありますけど、その他の、チェーン展開のレストランって、基本、ありません。
だから、サイゼリヤやデニーズのように?、冷凍食品をキッチンであっためて出す、みたいなのも当然ありません。
ドイツのレストランは、どこのお店もたいてい大味で、特別美味というわけでもないけど、時間をかけてがっつり作ってくれたお料理を、元気にもりもり食べて、明日への活力を養うことができる感じです。
スーパーでも、ドイツは、日本のような「添加物が盛り沢山」の食品は、少ないです。
日本は添加物が多すぎる、ということも、こちらに来て気づいたことです。
そんなわけで、ドイツで私が健康になった理由は、
① 適度に安くて、安全な、質の良い食材が豊富に食べられる
② 薬に頼らない生活
② 添加物が少ない食生活
あたりかと思います。
健康って、何にも勝る財産です。
日本でも、維持したいですが、さてどうなることやら。
少なくとも、食品を選ぶ目は厳しいままでいたい。
昨年末に、日本で「シリコン樹脂」入りの豆腐を見た時は、日本終わったと思いましたね。それ食べ物じゃない
自由になった
日本人が周りにいないだけで、こんなにも自由になれるのかと思いました。
別に、日本での仕事がストレスフルだったわけではありません。
例えば、ドイツでは、何を着てもいいのです。
流行なんて、ありません。
半袖を着ている人の隣に、コートを着ている人がいても、お互い、何も気にしません。
夏でも、ちょっと肌寒い日には、みんな何食わぬ顔で、ダウンジャケットを着ます。
寒い人は温かい格好を、暑い人は涼しい格好を。
というか、宗教の違いもありますから。
例えば真夏にヒジャブの女性ももちろん普通にいるのです。
誰も、奇異な目でなんか見ません。
服装一つとっても、自由なのです。
他人の目を、まったく気にしなくていい!
例えば、外国人扱いも基本的にはされないので、日本人であろうが、まずはドイツ語で話しかけられます。
最初は、「なんで、どこから見ても日本人なのに、普通にドイツ語で話しかけてくるかなー」と思っていたのですが、ドイツには移民も含めあらゆる人種の人が住んでいるので、「外国人」という括りはないのだと、気づきました。
そして、こちらではそもそも「ドイツ人」というのも、なんだかわからなくなってきました。
だって、ぱっと見、ドイツ人なのか、スペイン人なのか、イギリス人なのか、トルコ人なのかなんて分かりません。
というか、「何じん」って、言えない。
だって、純血のドイツ人なんてきっと少なくて、例えばドイツとポルトガルのミックスだったりするわけ。
アジアの見た目の人でも、親の代からこっちに住んでいて、ドイツ語ペラペラの人もいるし。
だから「ドイツ人」とは、自然に言わなくなりました。
言っても、現地の人、とか、トルコ系の人、とか、イスラム系の人、とか、スペインっぽい人、とか、そんな感じの言い方。
とにかく、他の人を、一人の人間としてだけ、見るようになりました。
私にドイツ語で話しかけてきたこちらの人は、私のことをアジア人だとは分かっていたかもしれないけど、だからって「アジア人だから、ドイツ語は喋れないだろう」という偏見をせずに、ただ単純に、この国の言葉であるドイツ語で、話しかけてきただけだったのですね。
最初から、相手のことを、フィルターをかけて見ない。
ただ、同じドイツにいる、1人の人間である。
だから、その人が良ければ、そしてこちらに害がなければ、その人が何を着てても、何をやっても自由。
私も自由、あなたも自由。
日本のように、衆人監視社会ではない。これ、本当に自由。
観察力が高くなった、本心で人に向き合えるようになった
健康なものを食べて、人の目を気にしない自由な生活を送っていると、思考がシンプルになる気がします。
生徒のレッスンをする時でも、その生徒のピアノを聴きながら、シンプルに、できていること、できていないことを、瞬時に判断していくことができるようになりました。
どんな演奏でも、シンプルに「楽譜通りに弾けていなければ」ダメなのです。
よくないものを良いと言うことは、私にはできないので、シンプルに「それでは、だめ」と言います。
教材や、グッズを工夫して、その生徒に合わせて色々やるのも一つのやり方ではあるのでしょうが、この4年間で、シンプルな指導法に落ち着きました。
でも、それは、誰にでも画一的な指導をするというわけではありません。
生徒のピアノを聴きながら、私は、その人の、心の奥底を覗いていくような、その人の奥まで入り込んでいくような精神状態になっています。
そうすると、その生徒の気持ちを読み取れたりすることがあります。
これも、ドイツでの生活が活きています。
私、結局、これだけドイツにいても、全くドイツ語も英語も身につきませんでした。
でも、何を喋っているのかわからなくても、その人が怒っているのか、感謝しているのか、世間話をしているのか、何かを伝えようとしているのかは、じっと相手の目を見て、集中して(集中していなくても)聴いていれば、分かります。
まぁ、話の詳細はわからないんですけど。
言葉じゃなくても、同じ人間、伝わるものはある。
ということは、こちらも、言葉ができない分、表情や身振り手振りを含めた「本当の気持ち」で接さないと、心の内が見透かされてしまう。
そんな感じで、自然と
「相手を観察すること」
「本心で、その人と向き合うこと」
が身につきました。
間違いなく、ピアノのレッスンにも活きていると思います。
まとめ
ドイツに来たばかりの頃、「ドイツ人」を見て、
『動物みたーい』
と思いました。
だって、みんな、電車の中で、自分たちの言語で、おっきい声で喋ったり(電車の中での電話OKです)、好きな服装したり、喜怒哀楽はっきりしてたり、見知らぬ人同士で世間話してたりするんですから。
わぁ、なんだかお猿さんみたい!と思いました。
こんな自由でいいの?って。
でも、今ではそれこそが人間らしい生き方じゃない?って思います。
最近はよく息子に、電車の中で「ママ、声がでかい」って言われます。
えーっ、そうかなぁ。
あと、ほぼ満員のエレベーターの中にズケズケ乗り込んでいった時も、息子にびっくりされました。笑
まぁ、そんな息子も、ドイツ語でサッカーの応援をしたり、英語で寝言(注:全て「罵倒系」のスラングです…)を言ったりしてますけどね。面白い。
これからも、ドイツ流のやり方で、生きていきますよ。そうでありたい。