アメリカには、アーミッシュと呼ばれる人々がいます。
私が彼らの存在を知ったのは、アメリカに来て何年も経ってからのこと。
日本でどのくらい知名度があるのか分かりませんが、キリスト教の一派を信仰するドイツ系の移民で、厳しい規律や18世紀の移民当時の生活を守りながら暮らしている人たちです。
その生活様式はひとことで言うと、近代文明を一切取り入れない暮らし。
電気も自動車も使わず、家にはテレビも電話もありません。
社会保障を受けることも保険に加入することもせず、外側の世界から切り離された、完全に自給自足の生活を営んでいます。
先週末、アイオワ最後の一日は、そんなアーミッシュの人たちが暮らす村に立ち寄りました。
アイオワ東部、アイオワシティの近くにカローナという小さな農村があり、そこにアーミッシュのコミュニティがあります。
彼らの信仰や規律について実は詳しくは知りません…
でも、一見しただけですぐ分かる生活様式の違いを実際に目にして、驚くと同時に深く感動しました。
村に近づいて、最初に通りすぎた一軒の家。
庭に牛、馬、ニワトリ、ヤギ、豚が放たれ、ひととおりの野菜が揃っている畑があります。
「お~自給自足だぁ。アーミッシュのお家ってこういう感じなのかな?」なんて思った瞬間、丈の長いブルーのワンピースに白いエプロンを重ね、オーガンジーの帽子で髪を覆った女の子が入り口から出てきました。
どう見ても現代風の格好じゃありません!
女の子がにっこり笑って手を振ってきました。
運転しながら反射的に私も手を振り、あまりにも突然の出来事に胸がドキンドキン。
それからすぐに、前方から馬車がやって来ました。
映画村?いえいえ、目の前にあるのは本物の暮らしです。
インフォメーションセンターに行ったら、アーミッシュの家庭で生まれ育った地元のおじさんがガイドをしていることが分かり、すぐに申し込みました。
おじさんの説明は、アーミッシュの生活や家族&コミュニティーの絆の強さなんかがよく分かってとても興味深かったです。
「ここは僕のお母さんが生まれ育った家で、横にある小屋がその当時の学校で…」
「この家は〇〇さんファミリーが住んでいて、子供は9人いて名前はXXとXXとXX…」
「子供のうち△△と△△は結婚しなかったから、今も親元で暮らし…」
話がローカル過ぎ。笑
聞いていると、どの家も子供が10人前後の大家族です。
「バースコントロールという考えを信じていないからだよ」とおじさんは言っていました。
世の中万事、神が決めるってことです。
アーミッシュの唯一の交通手段は、バギーと呼ばれる黒塗りの馬車。
駐車場に止められていた1台を撮らせてもらいました。
(写真は、人を撮ることはしてはいけないけれど、モノならいいですよ、と言われた。)
村をほんの1時間かそこらドライブしただけで、十数台のバギーとすれ違いました。
屋根付きのもの、屋根なしのもの、数人の家族で乗っているもの、女性一人でさっそうと手綱をさばいていたり、若い女の子3人乗りだったりと、いろいろ。
すれ違うと、必ず、馬車に乗っている全員が手を振って挨拶してくれます。
こちらも手を振って返します。
みんな着ているものは制服のように同じです。
外国を訪れたりすると、異文化に触れて驚くことってありますが、さらにタイムスリップまでしてしまった感じ。
ただ、アーミッシュだけで固まって閉鎖的に暮らしていると想像していたのは、大間違いでした。
道には車と馬車が両方行き交っていたり、電気を引いた家のお隣がアーミッシュの家だったりと、一般の人と混じってお互い尊重しながら暮らしているようです。
すばらしい。
現代社会の中でよくアーミッシュの生活をキープできるなと感心しましたが、個人を尊重するアメリカだからこそ実現できるのかな?
アメリカでは弾圧を受けることもなかったようだし、他の人も「変わった人たちだな」と思いつつも「ご自由にどうぞ」と干渉しないんでしょう。
どこの家でも花や野菜が育てられ、家畜がいます。
畑の近くには小鳥の巣箱が設置されていて、鳥をおびき寄せることで野菜につく虫を駆除してもらうんだそう。
だからもちろん、野菜は完全無農薬です。
また、アメリカでは外に洗濯物を干すことはありませんが、アーミッシュの家では庭に張られたロープに洗濯物がはためいていました。
柄や派手な色は禁止されていて、シンプルな無地の服しか着ないので、洗濯物も清潔感ある白とブルーのものしか見られません。
アーミッシュの学校。
普通の家ほどの大きさしかありません。
アーミッシュの教育は、8年生までで修了。
基本、アーミッシュとして生活する上で必要なことだけ学ぶそうです。
余計な知識は人をおごり高ぶらせる、と。ごもっとも。
テレビも新聞もなければ本も読んではいけないというけれど、外部の情報を遮断した生活って一体どんなだろう?
彼らは外部の人たち(つまり一般的なアメリカ人)のことを「イングリッシュ」と呼ぶそうです。
じゃあ彼らにとって私は何だろう?って思いました。
日本という国のことを知っているのかな?
アーミッシュの家具職人の家の前にあった、ステキな郵便受け。
アーミッシュの中には、酪農品や手作りのものを一般向けに売っている家庭もあります。
そういうところは家の外に看板が出ているので、訪ねて行ってもいいんだと分かります。
私たちはアーミッシュ・ベーカリーでパイやパン、スイーツを買い込みました。
アーミッシュの手作りパン、最高においしいです。
ほんのり甘くて、しっとり。
旦那さんとバクバク食べながら「何でこんなに美味しいのか」としきりに考え、私たちが出した答えは「きっと牛乳とバターが違うんだ。」
しぼりたての牛乳と手作りのバターが、あの何とも言えないほのかな甘味を出しているんじゃないかな。
パイも、甘さはごく控えめでフルーツたっぷり。
いくら食べても太らなそうなヘルシーパイでした!
次に、“Dressed Chicken(調理できるように下ごしらえされたチキン)”という看板を見て、あるお宅を(恐る恐る)訪ねました。
例のユニークな服を身にまとった若い女の子が出てきて、家の裏の倉庫に案内してくれます。
倉庫に入ると、そこに置いてあったのはどこの家にもあるようなクーラーボックス。
おもむろに蓋を開けると、彼女は鶏肉の入ったビニール袋を4つほど取り出して台の上に並べました。
「今朝屠殺して処理したばかりの鶏です。」
丸ごと調理したくなかったから、ぶつ切りにされている小ぶりの鶏1羽を購入。
同じ台の上に、こちらは常温で置かれていた卵も1ダース買いました。
ハエがたくさん飛び交っていたけど、それが自然の形なんだよね?きっと?
(ちなみに倉庫もクーラーボックスもすべて清潔でした。)
今朝まで走り回っていたであろう鶏。
RVに戻ってから恐る恐るビニールを開けてみました。
匂いを嗅いでみると(これは私の癖)、ほぼ無臭!
というか新鮮な香り?すらします。
スーパーで買うパッケージに入った鶏肉と違い、「鶏肉臭さ」が全くない上にヌメリもありません。
皮下脂肪が少なく、キュッと締まってとにかく新鮮。
ビニールの中には首(これはさすがに怖かった)、レバー、一対の砂肝、ころっとした心臓もひとつ、丁寧に入っています。
大切に食べなくては、という気持ちにさせられます。
ボテボテした脂肪がないので幸い捨てるところが何もなく、骨もちゃんとスープにしました!
普段の生活で忘れがちな、何か大切なものがアーミッシュの生活にはある気がします。
完全平和主義で、謙虚で、勤勉で、虚栄心を戒めながら暮らす生活。
食べるものも着るものも全て手作りし、家族や仲間と助けあいながら自然に感謝して暮らす生活。
究極のスローライフ。
信仰のためにそのような生活をしているとはいえ、そこから私も学べることがあるはずです。
便利さを優先することで失うもの。
生活が豊かになることで乏しくなっていくもの。
それは感謝の気持?生活の知恵?人との繋がり?地道な努力を怠らないこと?忍耐?時間をかけることの大切さ?生きる喜び?
今の私たちもある意味(以前と比べて)、不便な暮らしをしています。
RVに移り住む時、家具からキッチン用品、洋服、本、観葉植物にいたるまで、いろんな物を処分しました。
必要最低限のものだけに絞ってシンプルに生きようと、いろんな便利なものを捨ててきました。
炊飯器がないなら、鍋で米を炊けばいい。
テレビがないなら、二人で語り合って楽しめばいい。
そんな生活の変化を体験したからか、「物欲」だとか「生活のクオリティー」だとか「幸せ」について前より深く考えるようになったし、考え方も随分変わってきています。
だからかな、今回のアーミッシュの生活を垣間見たことで、普段そうやって自分が疑問に思っていることが、いっそう強烈に心のなかで波打っています。
ぼんやりとだけど見えてきているのは、私にとっての“質の高い暮らし”は、モノであふれ、利便性を追求する使い捨て文化の中にはない、ということかな。
…と、エアコンの効きすぎたコーヒーショップでパソコンに向かって時折ケータイのメールをチェックして「そろそろこのケータイも替え時かな」なんて思いながらカタカタと文字を打っている自分に、深いため息。はぁ。
なんだか今日のブログは長くなりました。