クリスチャン的思考法 9 扉は開かれる | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

電話受付の仕事をしていた時、インターネットの回線の販売をするのが仕事でした。

私の勤めていた会社は回線のみの販売でしたので、別途プロバイダーとの契約が必要でした。

お客様より「プロバイダーとは何ですか?」と尋ねられた時、私はよく道と扉とカギを用いて説明していました。

 

[インターネット回線という世界中につながる道があります。しかし、そこにはカギがかかった扉があります。プロバイダーとは、このカギのことです。カギを開けて扉が開くと世界中の情報を見に行くことが出来ます。]

 

私は人生という長い道を歩いています。

しかし、目の前にはいつもカギのかかった扉があります。

聖書には『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。マタイ7:7~8』という言葉があります。

クリスチャンは何か夢や目標を抱いた時、それを常に心に言い聞かせ、祈りの中で神に願うことで、その実現に近づいてゆくのです。

もちろん自分の努力も必要です。

 

「求めなさい、そうすれば与えられる」という言葉は、「求めなければ、与えられない」と言い換えることも出来ます。

物事が実現するかどうかは、あなた自身の求める気持ちの強さや、実際に目標を追いかけるために何かを成して行く実行力にも左右されるのです。

 

祈りはそのような、あなた自身の気持ちと行動を強めるものだと言ってもいいでしょう。

 

クリスチャンは日々、夢や目標を追い求めて積極的に生きています。

扉を開くカギは神が持っていて、定めの時にその扉は開かれます。

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹