クリスチャン的思考法 1 みんなちがって みんないい | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

私は現代社会のスピードについていけず、競争社会から脱落して、会社を辞めました。

私たちを取り囲んでいる世の中は、いつも一つの「ものさし」で人を測ります。

例えば、学校なら学業成績だけで人間の値打ちが測られていたり、会社だと営業成績だけで全てが決まったり、ということが多々あります。

 

しかし、「私が人間として生きている値打ち」というものは、能力によるランク付けだけで決められるものでは、ありません。

能力が劣っている、負けてしまったということで、人間として生きる価値まで失ったわけではないのです。

 

ここに一つの詩があります。

『わたしと小鳥と鈴と』 金子みすず(1903ー1930)

わたしが両手をひろげても、

お空はちっともとべないが、

とべる小鳥はわたしのように、

地面をはやくは走れない。

 

わたしがからだをゆすっても、

きれいな音はでないけど、

あの鳴るすずはわたしのように

たくさんのうたは知らないよ。

 

すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい。

 

この詩はキリスト教とは関係なく作られましたが、不思議なことに、キリスト教の精神と一致するのです。

すずも、小鳥も、わたしも、みんなそれぞれ得意なこともあれば、苦手なこともある。

けれども、小さくてもそれぞれに大切な存在だという思いが伝わってきます。

 

私は、出来ない、分からない、知らないことを認めることは、挫折することだと思っていました。

しかし、この詩は教えてくれます。

「みんなちがって、みんないい」のです。

 

参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹