私は現代社会のスピードについていけず、競争社会から脱落して、会社を辞めました。
私たちを取り囲んでいる世の中は、いつも一つの「ものさし」で人を測ります。
例えば、学校なら学業成績だけで人間の値打ちが測られていたり、会社だと営業成績だけで全てが決まったり、ということが多々あります。
しかし、「私が人間として生きている値打ち」というものは、能力によるランク付けだけで決められるものでは、ありません。
能力が劣っている、負けてしまったということで、人間として生きる価値まで失ったわけではないのです。
ここに一つの詩があります。
『わたしと小鳥と鈴と』 金子みすず(1903ー1930)
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
この詩はキリスト教とは関係なく作られましたが、不思議なことに、キリスト教の精神と一致するのです。
すずも、小鳥も、わたしも、みんなそれぞれ得意なこともあれば、苦手なこともある。
けれども、小さくてもそれぞれに大切な存在だという思いが伝わってきます。
私は、出来ない、分からない、知らないことを認めることは、挫折することだと思っていました。
しかし、この詩は教えてくれます。
「みんなちがって、みんないい」のです。
参考文献 信じる気持ち はじめてのキリスト教 富田 正樹
