罪と義について | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

私がキリスト教の代表的な言葉として浮かぶのは

「あなたがたは罪人です。」です。

「え?罪⁉︎私、犯罪なんて犯していませんけど。」

と思っていました。

 

『キリスト教の言う、罪とは何か?』

 

罪とは人間として、的を外した行為です。

罪とはギリシャ語では「ハマルティア」といいます。

この言葉にはもともと「的をはずした行為」という意味があります。

このことから罪というのは、人間が神との関係の中で神の望むことから外れていると言えるでしょう。

 

聖書には義という言葉もよく出てきます。

私は「義って義理の義かな?」と思っただけで、よく分かりませんでした。

しかし、義理の意味さえ分かっておらず、当然、義の意味も分かりませんでした。

国語辞典では、「条理。正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと。」とありました。

 

『聖書の言う、義とは何か?』

 

聖書では神との正しい関係を意味します。

文字の成り立ち見ると、よく分かります。

「動物の「羊」に「我」に漢字を分けると「我」は刃物の意味なので「羊を生け贄に捧げて神様にお祈りをする様子」を表現した」

 

文字の成り立ちから、義は神を礼拝するための字でした。

これでやっと長年の疑問が解けました。

 

参考文献 キリスト教入門Q & A 森 一弘